五中健児の歌

提供:五中・小石川デジタルアーカイブ
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五中健児の歌 (ごちゅうけんじのうた) は、第3代校長井上宗助が作った歌である。戦時中の五中生にとっては校歌よりもはるかに親しみのもてた言わば愛唱歌だった。[1]

歌詞

礫川台の朝風にはためく吾達の校章旗

仰ぐ紅顔一千の眼差し見よや

輝きて崇き理想の影を追ふ

これぞ五中、五中の健児


編曲楽譜(pdf)林知行(023)による編曲。85周年記念CDや東京校歌祭で使用された。

メモ

入学時にまだ五中生がいた04期あたりまでは歌える人がいる。創立85周年を記念して記憶を頼りにCD「我らは伊藤長七の教え子だった」に収録されているものは聞き起こした楽譜によるもの。

2015年に正式な楽譜を発見。


・85周年記念CDの録音メンバーからもわかる様に

・その後、F組が応援歌として獲得(その経緯を私は知りませんが)、私の同期023F組の方は「礫川台の朝風に」を歌ったそうです。その後、応援歌としてどこまで引き継がれたかの調査はしておりませんが。

・学校が生徒に配布したオリジナルの伴奏つき楽譜(皇紀二千六百年を記念して全校生徒に配布)が出てきたのはつい最近のことです。校歌とこの歌の楽譜を所持していたのは加藤弘さん(五中23回D)。東京大空襲の前日に、尾久の自宅から世田谷の姉の家へ自ら大八車で運んだ疎開荷物の中で焼け残ったものとのこと。校歌とこの歌の楽譜は既にスキャンして収蔵されたと記憶しています。

・上記楽譜が出てくるまでは、85周年記念CDに収録した録音のために私が採譜した楽譜(およびそのアレンジ)を使っておりました。この採譜のために歌ってくれたのは坂入英雄さん(04B・故人)です。私は70周年同窓会の舞台監督をしておりましたが、同窓会(総会)の後、スタッフの慰労ということで、当時の副会長近藤さんの伊豆の別荘へ行きました。その時に、坂入さんがある時期皆が歌ったということを教えてくれ、後日、実際に歌って頂き、これを録音し、採譜しました。この楽譜のスキャンをしておきました。公式楽譜との違いは二箇所ありました。どうしても記憶にもとづいて歌う(楽譜を見て歌うわけではないので)と、歌いやすい様に変えてしまったところがあると推測されます。具体的には「吾等の校章旗」の中の「れ」はスケール的に上がる(Ⅱ音)のですが、採譜楽譜は前の「わ」と同音(Ⅰ音)になっていました。そして最後の方「これぞ五中」の中の「ちゅ」は前の「ご」と同音(Ⅵ音)なのですが、採譜楽譜ではⅤ音に下がっていました。その他のメロディは採譜は正しく行なわれていたのですが。


創作昭和54年12月25日第106号「-特集-校歌を探る」より

さて、小石川には校歌のほかに「五中健児の歌」というものもあった。作詞は三代校長井上宗助先生で、戦前の数年間歌われていた。

「五中健児の歌」(一番のみ)

礫川台の朝風に

はためく我等の校章旗

仰ぐ紅顔一千の

眼差見よや輝きて

高き理想の影を追う

これぞ五中、五中の健児

脚注

  1. 紫友同窓会会報第43号