「伊藤長七パネルプロジェクト」の版間の差分

提供:五中・小石川デジタルアーカイブ
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===事の始まり===
 
===事の始まり===
2003年2月1日の85周年同窓会実行委員会終了後、017D組6名は柴田委員長を中心にグリーンコート内レストランで談笑。6名全員の顔合わせは1月のD組クラス会以来。ついでながら、D組はここ15年ほど毎年1月初旬目白で新年会をしている。このクラス会の提唱者は柴田委員長その人。小石川時代にはけして結束力の良くなかったD組は、この新年会を通じて徐々に“失われた時代”を取り戻し、今や深い(不快ではなく)友情を暖めあうに至っている。
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2003年2月1日の85周年同窓会実行委員会終了後、017D組6名は柴田委員長を中心にグリーンコート内レストランで談笑。6名全員の顔合わせは1月のD組クラス会以来(017Dはこれ以前から15年ほど毎年1月初旬に目白などで新年会をしている)。このクラス会の提唱者は柴田委員長その人。小石川時代には決して結束力の良くなかった017Dであったが、この新年会を通じて徐々に“失われた時代”を取り戻し友情をあたためあっていたという。
  
 
話を戻すと、そのレストランで柴田委員長曰く、“85周年準備委員会に携わって、伊藤長七初代五中校長の偉大さに敬服。 長七をもっと同窓生に知って欲しい。ついては伊藤長七展を企画しているがそれを多くの人に見てもらう工夫が必要。マーケティングの一環としてパネルでの誘導を考えてみてくれないか?”云々--- 居並ぶ5名は即座に賛成。長年新年会の骨折りをして来てくれた彼に、いまや報恩の時。“柴田委員長命”の旗印の元にこうしてProjectXならぬProjectPanelersは産声をあげた。
 
話を戻すと、そのレストランで柴田委員長曰く、“85周年準備委員会に携わって、伊藤長七初代五中校長の偉大さに敬服。 長七をもっと同窓生に知って欲しい。ついては伊藤長七展を企画しているがそれを多くの人に見てもらう工夫が必要。マーケティングの一環としてパネルでの誘導を考えてみてくれないか?”云々--- 居並ぶ5名は即座に賛成。長年新年会の骨折りをして来てくれた彼に、いまや報恩の時。“柴田委員長命”の旗印の元にこうしてProjectXならぬProjectPanelersは産声をあげた。

2023年5月12日 (金) 16:45時点における最新版

伊藤長七パネルプロジェクト(通称:パネラーズ)は、2003年5月25日に開催された創立85周年記念式典における伊藤長七展の展示パネルの企画制作を行った017Dの有志が中心のプロジェクト。

概要

2003年に017Dの有志が中心となって同年5月25日に開催された創立85周年記念式典における「伊藤長七展」で展示パネルの企画制作を行った。

このパネルはその後も創作展での同窓会ブースなどさまざまなイベントで展示され続けている。

概要:A2サイズ、カラー版全8枚。2セット製作の上、正門と裏門の両サイドから各8枚を運動場ネットに取り付けて掲示。

メンバー:飯田良平(017D)、上野(金堀)猷子(017D)、 小林偉昭(017D)、樋口(松木)富美子(017D)、村口憲治(017D)、柴田知彦(017D)

デザイナー:樋口美夏

協力:石井久一(017D)、染谷香(017D)、堀哲哉(017D)、二宮昌明(017D)

事の始まり

2003年2月1日の85周年同窓会実行委員会終了後、017D組6名は柴田委員長を中心にグリーンコート内レストランで談笑。6名全員の顔合わせは1月のD組クラス会以来(017Dはこれ以前から15年ほど毎年1月初旬に目白などで新年会をしている)。このクラス会の提唱者は柴田委員長その人。小石川時代には決して結束力の良くなかった017Dであったが、この新年会を通じて徐々に“失われた時代”を取り戻し友情をあたためあっていたという。

話を戻すと、そのレストランで柴田委員長曰く、“85周年準備委員会に携わって、伊藤長七初代五中校長の偉大さに敬服。 長七をもっと同窓生に知って欲しい。ついては伊藤長七展を企画しているがそれを多くの人に見てもらう工夫が必要。マーケティングの一環としてパネルでの誘導を考えてみてくれないか?”云々--- 居並ぶ5名は即座に賛成。長年新年会の骨折りをして来てくれた彼に、いまや報恩の時。“柴田委員長命”の旗印の元にこうしてProjectXならぬProjectPanelersは産声をあげた。

パネルができるまで

5月3日紫友会館前。出来栄えにパネラーズ感激

皆で伊藤長七に関連するホームページや過去の周年誌を必死で読む。そこから長七の進取性を示すキーワードをピックアップ。即ち、”立志・創作・開拓“の提唱、校歌・校章・背広型制服の制定、自由なスピリットに満ちた鯉幟揚行事の遂行、藤村の”破壊“への影響力などなど。これらを文章案にしてみたが今ひとつピンと来ない。

メンバーの中に、”娘が美大でメディアアート専攻ゆえ、デザインさせてみようとか”というメンバーが居り、19歳の彼女に長七のあれこれをインプット。出来上がった原案には我々世代をたじろがせる単純・明快なパワーがあった。

戯画化したデザインに伊藤家の反応なども危惧されたが、ここは若い力に任せようと一同この案に乗る。印刷やパネル貼りは、全て自前ということになり、畢竟メールでのやりとりが頻繁となる。デザイン推敲、パネルの買出し、カラーコピー印刷、用具調達、展示場所確認等、各自が黙々と遂行。5月3日には紫友会館で全員でパネル貼り。それなりの出来栄えとなり、校庭で記念撮影に及ぶ。まずはこの夜、同窓会に先んじてビールにて労働を祝す。


予定より早く任務を果たしたメンバーに柴田委員長より次の指令が下る。委員長親衛隊を自負する我々は顔で笑って心でも笑いつつ、校内のサイン計画とアリーナの風船プロジェクトに余った体力を傾けることとなる。

パネル