「1955年度 (昭和30年度)」の版間の差分

提供:五中・小石川デジタルアーカイブ
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紫友同窓会会報第48号で、010Aの卒業生がこの年のエピソードを次のように紹介している。
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同心町の校舎は照明が不十分で、刑務所の次に暗いと言われていた。私たちの教室の黒板の中心付近に、ローラーで印刷用インクでも付けたものか、10センチ四方ほどのツルツルの箇所があり、そこだけは白墨が滑って字が書けなかった。数学の土橋荘司先生は、大きな体に似合わない細かな字で数式を書いたが、いつもその箇所に行くと字が書けなくなり、「誰だ。こんなことをしたのは」と怒った。
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冬になると教室ごとに配られるストーブ用の石炭が足りなくなり、一人の生徒が得意の空手で教室の後ろの壁を一撃、板をはがして燃料代わりにしていた。教室は一時的に暖かくなったが、板のなくなった壁からは常時外の冷気が入ってくるようになった。ある日、[[澤登哲一]]校長が回ってきてむき出しになった壁を指して「天に唾する者は誰だ」と怒った。私たちはただ黙って俯いている中で、本人が「僕です」と名乗り出た。みんな同罪なのに、彼はエラかった。
  
 
==教職員==
 
==教職員==

2020年12月4日 (金) 18:30時点における版

できごと

2学期末の自治会で地理歴史同好会を承認。[1]

歴史研究会解散、弁論研究会、人文研究会も消滅の方向に。[2]

4月 駕籠町校舎の第一期工事着工。[3]

4月9日 「小石川高校新聞」第19号発行[4]

5月14日 1年生春季旅行(於:湯河原・十国峠)[2]

5月14日 2年生春季旅行(於:大島)[2]

5月15日 3年生模擬考査[2]

6月 クラブに変動。クラブ相次いで解散。[5]

6月9日 「小石川高校新聞」第20号発行[2]

6月16日 職員会議で創作展の廃止を決定。以後、文化部を中心に開催を要求。[6][7][8]

6月30日 新聞研究会主催、SM委員会後援による校内弁論大会開催(於:講堂)。[6]

7月3日 「小石川高校新聞」第21号発行[6]

7月15日・16日 学期末考査[2]

7月20日 終業式[2]

7月21日~26日 保田臨海学校が開かれる(1人当たり費用1600円)。(予定)[6]

8月 新校舎B棟完成見込み(2学期から新1年生が移転予定)。(前回発表以降、駕籠町校舎再建に関して紆余曲折があった模様だが詳細不明)[9]

11月 B棟(9教室)が完成。第2、3期工事(A棟)着工。(1956年度に新1年は駕籠町校舎に移転し、全学年移転は1957年4月とすることが決定)[3]

11月 駕籠町校舎、第一期工事完成、落成式典挙行。第1学年駕籠町校舎に移転。第二期、三期工事着工。[10][11][12][5]

校舎落成記念の品

11月30日 「開拓」第42号発行[13]

12月5日 近畿紫友会、発足(大阪・北京楼にて)。[14]

1月28日 自治会において学校歌を全校生徒から募ることを決定。[1]

2月9日 「小石川高校新聞」第22号発行[1]

2月18日・19日 学力考査(予定)[1]

3月5日 卒業式(予定)[1]

3月16日・17日 期末テスト(予定)[1]

3月24日 終業式(予定)[1]

逐年一年生写真帳

プライバシーに配慮して低画質版を掲載しています。高解像度版は同窓会事務局で保管しています。閲覧希望の同窓会会員はご自身の卒業年次クラスと氏名とともに同窓会事務局までお問い合わせください。

第一期工事落成式

11月22日に第1期工事落成式が開催されている。そのときの様子が写真に残っている。当日は工事を担当した企業からも代表が出席して感謝状の贈呈が行われたもよう。

エピソード

紫友同窓会会報第48号で、010Aの卒業生がこの年のエピソードを次のように紹介している。

同心町の校舎は照明が不十分で、刑務所の次に暗いと言われていた。私たちの教室の黒板の中心付近に、ローラーで印刷用インクでも付けたものか、10センチ四方ほどのツルツルの箇所があり、そこだけは白墨が滑って字が書けなかった。数学の土橋荘司先生は、大きな体に似合わない細かな字で数式を書いたが、いつもその箇所に行くと字が書けなくなり、「誰だ。こんなことをしたのは」と怒った。

冬になると教室ごとに配られるストーブ用の石炭が足りなくなり、一人の生徒が得意の空手で教室の後ろの壁を一撃、板をはがして燃料代わりにしていた。教室は一時的に暖かくなったが、板のなくなった壁からは常時外の冷気が入ってくるようになった。ある日、澤登哲一校長が回ってきてむき出しになった壁を指して「天に唾する者は誰だ」と怒った。私たちはただ黙って俯いている中で、本人が「僕です」と名乗り出た。みんな同罪なのに、彼はエラかった。

教職員

校務(○は委員長)
議長 三橋
人事委員会 大野、金津、○関野、土橋、南沢
教務委員会 ○竹松、千葉、野田、松村、森下、臼井、山名
厚生委員会 尾沢、○金津、重松、田島、前田、馬上、山川、川野
保健委員会 ○富永、西中、橋本、益守、柴
就職アルバイト委員会 ○大野、福沢、福井
図書委員会 ○近藤、田村、益守、土橋
生徒活動委員会 井口、○大勝、藤平、本多、南沢、鈴木、長友
学年委員会 ○新、井口、関野、南沢、三和、山名
移転対策委員会 近藤、竹松、長友、藤平、前田、○三和
ホーム・ルーム(○は学年主任)
1年 A長友、○B三和、C川野、D益守、E土橋、F鈴木、G臼井、H山名
2年 A山川、B井口、C大野、○D新、E西中、F尾沢、G竹松、H斉藤
3年 A南沢、B橋本、○C関野、D福沢、E金津、F本多、G田島、H野田
担当教科(○は学科主任、△は講師)
国語 臼井、金津、木村、鈴木、竹松、本多、南沢、○森下、△小坂、△渡辺
社会 大野、小沢、川野、斉藤、○野田、福井、△石岡、△中岡、△山極
体育 長友、西中、○藤平、馬上、△中野
数学 上野、○近藤、土橋、橋本、三橋、三和、山川
理科 関野、○重松、富永、益守、尾沢、松村、△土屋
芸術 (美)大勝、(書)千葉、(音)福沢、(工)前田、(家)武
外国語 新、井口、石川、田島、田村、○山名、△岡崎、△浜名
事務 植村、倉茂、関根、星野、山本、○横関、柴(衛生室)、岡(教務助手)、戸田(理科助手)、浦谷(図書係)、伊藤(用務員)、上原ク(同左)、上原マ(同左)
クラブ活動
文化部 (主任:鈴木) 写真研(新)、文学研(臼井、竹松)、社会研(川野)、美術研(大勝)、新聞研(大野)、書道研(千葉)、音楽研(福沢)、中国研(本多)、生物研(益守、富永)、英語研(山名)、電波研(松村)、生活研(森下)、映画研(関野)、放送研(木村、本多)、演劇(金津)
運動部 (主任:藤平) 野球部(近藤)、山岳部(鈴木)、籠球部(西中)、排球部(土橋)、ラグビー部(長友)、柔道部(藤平)、卓球部(橋本)、蹴球部(三和、大野)、庭球部(井口)、バドミントン(南沢)、水泳部(西中、藤平)、陸上部(馬上)
同好会 MIC(石川)、バイブル・クラス(田島)、わだつみ(竹松)、歌う会(川野)、ソフトボール(金津)

生徒在籍数

A B C D E F G H
1年 41 40 38 39 38 40 39 40 315
11 12 13 12 12 12 12 10 94
52 52 51 51 50 52 51 50 409
2年 38 39 39 38 39 38 40 38 309
12 11 12 12 11 11 11 12 92
50 50 51 50 50 49 51 50 401
3年 45 43 42 43 42 41 42 42 340
8 10 11 10 11 12 11 11 84
53 53 53 53 53 53 53 53 424


芸能祭

創作展

運動会

開拓 (第42号)

020 B 008 0007.jpg

目次

  • 編集後記

受賞者

卒業アルバム

関連項目

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 「小石川高校新聞」第22号:昭和31年2月9日
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 「小石川高校新聞」第20号:昭和30年6月9日
  3. 3.0 3.1 紫友同窓会会報 no.41_2013年(平成25年)
  4. 「小石川高校新聞」第19号:昭和30年4月9日
  5. 5.0 5.1 創立70周年記念誌
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 「小石川高校新聞」第21号:昭和30年7月3日
  7. 「創作」第113号:昭和56年7月20日
  8. 「小石川高校新聞」第22号:昭和31年2月9日の記載から中止になったと推察。創立70周年記念誌には「小規模合同展」とあり
  9. 「小石川高校新聞」第18号:昭和30年2月17日
  10. 「創作」体育館落成記念号外:昭和36年10月2日
  11. 「創作」第134号:昭和60年3月8日
  12. 創立50周年記念誌
  13. 「開拓」第42号(昭和30年11月30日発行)
  14. 紫友同窓会会報 no.1_1973年(昭和48年)