「紫友さろん」の版間の差分

提供:五中・小石川デジタルアーカイブ
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==きっかけ==
 
==きっかけ==
創立65周年紫友同窓会で配られた「開拓総目次」をきっかけに1983年に同窓生が結成した「紫友ぺんくらぶ」を前身とする。その後「紫友くらぶ」を経て現在の名前になっている。
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創立65周年紫友同窓会で配られた「開拓総目次」をきっかけに1984年に同窓生が結成した「紫友ぺんくらぶ」を前身とする。その後「紫友くらぶ」を経て現在の名前になっている。
  
 
==沿革==
 
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1984年11月13日に根本順吉(13)を講師として第1回例会・講演「異常気象と人間」(35名参加) を開催。
 
1984年11月13日に根本順吉(13)を講師として第1回例会・講演「異常気象と人間」(35名参加) を開催。
  
1989年7月12日第13回例会・会長が交代「紫友くらぶ」と改称、文筆イメージ解消をはかる<会長・内藤裕次(15)・36名参加>
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1985年2月15日 会報「紫友ぺん」第1号を発行
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1989年7月12日第13回例会(36名参加)にて会長が内藤裕次(15)に交代。文筆イメージ解消をはかるため「紫友くらぶ」と改称。
  
 
==主な活動==
 
==主な活動==

2016年8月26日 (金) 18:44時点における版

紫友さろん部会(しゆうさろんぶかい)は、世代を越えて同窓生や学校関係者が自由に集う場。紫友同窓会の一組織。定期的に集い俳句の会を開いている。

きっかけ

創立65周年紫友同窓会で配られた「開拓総目次」をきっかけに1984年に同窓生が結成した「紫友ぺんくらぶ」を前身とする。その後「紫友くらぶ」を経て現在の名前になっている。

沿革

1984年7月8月に紫友ぺんくらぶ発起人会が数回開催され、同年9月13日に紫友会館にて62名が参加して神津康雄(13)を会長とする紫友ぺんくらぶ創立総会が開催された。

1984年11月13日に根本順吉(13)を講師として第1回例会・講演「異常気象と人間」(35名参加) を開催。

1985年2月15日 会報「紫友ぺん」第1号を発行

1989年7月12日第13回例会(36名参加)にて会長が内藤裕次(15)に交代。文筆イメージ解消をはかるため「紫友くらぶ」と改称。

主な活動

  • 俳句
  • 毎秋開催されている東京校歌祭への参加
  • 校章にあしらわれているムラサキ (純粋和種)の栽培の呼びかけ。