「私の五中・小石川さがし」の版間の差分

提供:五中・小石川デジタルアーカイブ
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'''私の五中・小石川さがし-我らは伊藤長七の教え子だった'''は、2003年に開催した85周年記念事業のまとめとして2004年に紫友同窓会が発行した冊子である。
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'''私の五中・小石川さがし-我らは伊藤長七の教え子だった'''は、2003年に開催した85周年記念行事の総まとめとして2004年に紫友同窓会が発行した冊子である。
  
 
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5年に1度開催している記念同窓会
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[[紫友同窓会]]は創立50周年から5年おきに周年記念同窓会を開催している。2003年に行われた創立85周年記念同窓会は、016卒から020卒の卒業生が中心となって結成された実行委員会によってその準備・運営が進められた。この85周年記念事業実行委員会は非常にアクティビティの高い人材が多数集まったことで紆余曲折を経ながらも、伊藤長七の資料整理、記念CDの制作、小石川賞の創設、伊藤長七展の開催など多くの成果を残した。
  
2003年に行われた創立85周年記念同窓会は018卒からを中心として実行委員会が
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本書は、その活動を記録として残すため紫友同窓会が特集号として2004年5月に刊行したものである。

2022年4月3日 (日) 14:04時点における版

私の五中・小石川さがし-我らは伊藤長七の教え子だったは、2003年に開催した85周年記念行事の総まとめとして2004年に紫友同窓会が発行した冊子である。

解説

紫友同窓会は創立50周年から5年おきに周年記念同窓会を開催している。2003年に行われた創立85周年記念同窓会は、016卒から020卒の卒業生が中心となって結成された実行委員会によってその準備・運営が進められた。この85周年記念事業実行委員会は非常にアクティビティの高い人材が多数集まったことで紆余曲折を経ながらも、伊藤長七の資料整理、記念CDの制作、小石川賞の創設、伊藤長七展の開催など多くの成果を残した。

本書は、その活動を記録として残すため紫友同窓会が特集号として2004年5月に刊行したものである。