「校歌」の版間の差分

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振(ふる)はんかなや開拓の  吾が校友の精
 
振(ふる)はんかなや開拓の  吾が校友の精
  
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==紫友会の歌 (開拓の精神) ==
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[[開拓]]第1号 (大正9年1月発行) の巻頭に掲載されている。これが一部変更が加わってのちの校歌となったようである。
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1.豊葦原の中原と 拓(ひら)きましけん日本武
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尊のみいづ吾嬬路(あづまぢ)に 古りし歴史は二千年
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今将た仰ぐ帝城の 武蔵の国ぞ大いなる
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2.流れも清き多摩川の 水にあらひて生まれたる
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男心は東海に 聳えて高き不二の山
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曙近き人の世の 雲のあなだぞ麗はしき
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3.豊島の里に程近く 樹立も深き岡の邊に
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結ぶや少(わか)き人情(ひとごころ) 吾学びやの開拓に
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理想の鍬を振り上げて 二つの腕の勇む哉
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4.菅の荒野を飛ぶ鷲の 羽風も高き飛騨の山
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白雲遠き高原に 行く手の森を眺むれば
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小草(をぐさ)の露に命あり 吾踏む土に力あり
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5.源遠き文明の 科学の道に分け入りて
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一もと咲ける野の花の ゆかりの色を翳す時
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思は通ふ萬世の 真理を究むる人の胸
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6.東亜の光太平の 波の彼方に輝きて
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みかどの恵いやひろく 五州の外に動くとき
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奮はんかなや開拓の 吾校友の精神を
  
 
==府立第五中学校校歌==
 
==府立第五中学校校歌==
1.豊葦原の中原と
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1.豊葦原の中原と 拓(ひら)きましけん日本武
  
拓きましけん日本武
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尊のみいづ吾嬬路(あづまぢ)に 古りし歴史は二千年
  
尊のみいづ吾嬬路に
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今将た仰ぐ帝城の 武蔵の国ぞ大いなる
  
古りし歴史は二千年
 
  
今将た仰ぐ帝城の
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2.流れも清き多摩川の 水にあらひて生まれたる
  
武蔵の国ぞ大いなる
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男心は東海に 聳えて高き不二の山
  
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曙近き人の世の 彼方の空ぞなつかしき
  
2.流れも清き多摩川の
 
  
水にあらひて生まれたる
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3.豊島の里に程近く 樹立も深き岡の邊に
  
男心は東海に
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結ぶや少(わか)き人情(ひとごころ) 吾学びやの開拓に
  
えて高き不二の山
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理想の鍬を振り上げて 二つの腕の勇む哉
  
曙近き人の世の
 
  
彼方の空ぞなつかしき
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4.源遠き文明の 科学の道に分け入りて
  
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一もと咲ける野の花の ゆかりの色を翳す時
  
3.豊島の里に程近く
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立つるやここに創作の 眞理(まこと)をきそふ志
  
樹立も深き岡の邊に
 
  
結ぶや少き人情
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5.菅の荒野を飛ぶ鷲の 羽風も高き飛騨の山
  
吾学びやの開拓に
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白雲遠き高原に 行く手の森を眺むれば
  
理想の鍬を振り上げて
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小草(をぐさ)の露に命あり 吾踏む土に力あり
  
二つの腕の勇む哉
 
  
4.源遠き文明の
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6.平和の光今更に 五州の海に輝きて
  
科学の道に分け入りて
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恵の波のいやひろく 八州(やしま)の外(ほか)に布(し)くところ
  
一もと咲ける野の花の
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振はんかなや開拓の 吾が校友の精神を
  
ゆかりの色を翳す時
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==エピソード==
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制定されたのは五中創立と同じ1919年 (大正8年) 4月のことである<ref>昭和54年新聞『創作』12月25日第106号</ref>。当時は計6番で「紫友会の歌」(副題「開拓の精神」)であった<ref name="hanseiki3">50年記念誌 半世紀 3ページ欄外</ref>。
  
立つるやここに創作の
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大戦中、現在のものの6番「平和の光今更に」は「御陵威の光今更に」と変えられていた<ref name="hanseiki3"/>。
  
眞理をきそふ志
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歌詞が前時代的であるとか、曲が地味で体育祭など活気を求められる場で使いにくいなどといった意見から昭和25年ごろに新校歌制定を求める声が上がった。結果的に新校歌が制定されることはなかったが、昭和30年初頭に[[学生歌]]の制定運動として再び動き出すことになった。
  
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戦後の校舎復興によって同心町校舎から創立の地である駕籠町へ戻ってきた昭和31年ごろは校歌を歌う機会が少なく「校歌を知らぬという新入生の声」という記事で以下のような声が『創作』に掲載された<ref>昭和31年新聞『創作』6月</ref>
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*学校に入って2ヶ月になるがまだ一度も校歌を聞いていない。
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*2,3年生にきいても全部を知っている人はほとんどなく、1番だけでも知っている人は稀である。
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*例年だと入学式あるいは新入生が集まった席上で上級生が歌って聞かせたというが今年はどうしたのだろう。
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*年々歌い伝えられる校歌の基にその学校の校風伝統が生まれるのではないだろうか。
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*今からでも遅くはない。音楽の教師が、それができなかったら担任の教師が歌ってでもよいから
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*全校生、特に1年生に教えるべきだ。
  
5.菅の荒野を飛ぶ鷲の
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==ピアノ演奏用編曲==
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林知行(023D)がさまざまなイベントに合わせてピアノ演奏(伴奏)用の編曲を行なっている。
  
羽風も高き飛騨の山
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創立85周年記念紫友同窓会のCD「我らは伊藤長七の教え子だった」に収録するオーケストラ録音用に編曲されたピアノ伴奏楽譜
  
==エピソード==
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*[[:ファイル:4H kouka.pdf|四手ピアノ連弾用楽譜(pdf)]]オーケストラ録音用に編曲した楽譜は演奏が難しいため、演奏者2名による四手ピアノ連弾用に編曲したもの。東京校歌祭でも使われた。
設立当初から制定され、当時は計6番で「紫友会の歌」(副題「開拓の精神」)であった<ref name="hanseiki3">50年記念誌 半世紀 3ページ欄外</ref>。大戦中、現在のものの6番「平和の光今更に」は「御陵威の光今更に」と変えられていた<ref name="hanseiki3">50年記念誌 半世紀 3ページ欄外</ref>。
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*[[:ファイル:VP kouka.pdf|ピアノ伴奏用楽譜(pdf)]]ピアノソロ伴奏用に編曲したもの。林は一般的にはこの楽譜が使いやすいと紹介している。
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*[[:ファイル:KoishikawaKoukaJazzVer.pdf|ジャズバージョン楽譜(pdf)]]氏がPTA会長だった平成14年ごろにフルバンドジャズ用に書いたアレンジ。当時の軽音楽研究会による演奏はかなわなかったものの、第2回紫友芸能祭 (2015年5月30日 成増アクトホール) で軽音楽研究会のOBバンドによって初演。
  
 
==関連項目==
 
==関連項目==

2018年9月17日 (月) 13:10時点における最新版

作詞・伊藤長七 作曲・北村 季晴


豐葦原の中原と 拓(ひら)きましけん日本武(やまとだけ)

尊(みこと)のみいつ吾嬬路(あづまぢ)に 古りし歴史は二千年

今將(は)た仰ぐ帝城の 武藏の國ぞ大いなる


源遠き文明の 科學(くわがく)の道に分け入りて

一もと咲ける野の花の ゆかりの色を翳(かざ)す時

立つるやここに創作の 眞理(まこと)をきそふ志


平和の光今更に 五州(ごしう)の海に輝きて

惠の波のいやひろく 八州(やしま)の外(ほか)に布(し)くところ

振(ふる)はんかなや開拓の  吾が校友の精

紫友会の歌 (開拓の精神)

開拓第1号 (大正9年1月発行) の巻頭に掲載されている。これが一部変更が加わってのちの校歌となったようである。

1.豊葦原の中原と 拓(ひら)きましけん日本武

尊のみいづ吾嬬路(あづまぢ)に 古りし歴史は二千年

今将た仰ぐ帝城の 武蔵の国ぞ大いなる


2.流れも清き多摩川の 水にあらひて生まれたる

男心は東海に 聳えて高き不二の山

曙近き人の世の 雲のあなだぞ麗はしき


3.豊島の里に程近く 樹立も深き岡の邊に

結ぶや少(わか)き人情(ひとごころ) 吾学びやの開拓に

理想の鍬を振り上げて 二つの腕の勇む哉


4.菅の荒野を飛ぶ鷲の 羽風も高き飛騨の山

白雲遠き高原に 行く手の森を眺むれば

小草(をぐさ)の露に命あり 吾踏む土に力あり


5.源遠き文明の 科学の道に分け入りて

一もと咲ける野の花の ゆかりの色を翳す時

思は通ふ萬世の 真理を究むる人の胸


6.東亜の光太平の 波の彼方に輝きて

みかどの恵いやひろく 五州の外に動くとき

奮はんかなや開拓の 吾校友の精神を

府立第五中学校校歌

1.豊葦原の中原と 拓(ひら)きましけん日本武

尊のみいづ吾嬬路(あづまぢ)に 古りし歴史は二千年

今将た仰ぐ帝城の 武蔵の国ぞ大いなる


2.流れも清き多摩川の 水にあらひて生まれたる

男心は東海に 聳えて高き不二の山

曙近き人の世の 彼方の空ぞなつかしき


3.豊島の里に程近く 樹立も深き岡の邊に

結ぶや少(わか)き人情(ひとごころ) 吾学びやの開拓に

理想の鍬を振り上げて 二つの腕の勇む哉


4.源遠き文明の 科学の道に分け入りて

一もと咲ける野の花の ゆかりの色を翳す時

立つるやここに創作の 眞理(まこと)をきそふ志


5.菅の荒野を飛ぶ鷲の 羽風も高き飛騨の山

白雲遠き高原に 行く手の森を眺むれば

小草(をぐさ)の露に命あり 吾踏む土に力あり


6.平和の光今更に 五州の海に輝きて

恵の波のいやひろく 八州(やしま)の外(ほか)に布(し)くところ

振はんかなや開拓の 吾が校友の精神を

エピソード

制定されたのは五中創立と同じ1919年 (大正8年) 4月のことである[1]。当時は計6番で「紫友会の歌」(副題「開拓の精神」)であった[2]

大戦中、現在のものの6番「平和の光今更に」は「御陵威の光今更に」と変えられていた[2]

歌詞が前時代的であるとか、曲が地味で体育祭など活気を求められる場で使いにくいなどといった意見から昭和25年ごろに新校歌制定を求める声が上がった。結果的に新校歌が制定されることはなかったが、昭和30年初頭に学生歌の制定運動として再び動き出すことになった。

戦後の校舎復興によって同心町校舎から創立の地である駕籠町へ戻ってきた昭和31年ごろは校歌を歌う機会が少なく「校歌を知らぬという新入生の声」という記事で以下のような声が『創作』に掲載された[3]

  • 学校に入って2ヶ月になるがまだ一度も校歌を聞いていない。
  • 2,3年生にきいても全部を知っている人はほとんどなく、1番だけでも知っている人は稀である。
  • 例年だと入学式あるいは新入生が集まった席上で上級生が歌って聞かせたというが今年はどうしたのだろう。
  • 年々歌い伝えられる校歌の基にその学校の校風伝統が生まれるのではないだろうか。
  • 今からでも遅くはない。音楽の教師が、それができなかったら担任の教師が歌ってでもよいから
  • 全校生、特に1年生に教えるべきだ。

ピアノ演奏用編曲

林知行(023D)がさまざまなイベントに合わせてピアノ演奏(伴奏)用の編曲を行なっている。

創立85周年記念紫友同窓会のCD「我らは伊藤長七の教え子だった」に収録するオーケストラ録音用に編曲されたピアノ伴奏楽譜

  • 四手ピアノ連弾用楽譜(pdf)オーケストラ録音用に編曲した楽譜は演奏が難しいため、演奏者2名による四手ピアノ連弾用に編曲したもの。東京校歌祭でも使われた。
  • ピアノ伴奏用楽譜(pdf)ピアノソロ伴奏用に編曲したもの。林は一般的にはこの楽譜が使いやすいと紹介している。
  • ジャズバージョン楽譜(pdf)氏がPTA会長だった平成14年ごろにフルバンドジャズ用に書いたアレンジ。当時の軽音楽研究会による演奏はかなわなかったものの、第2回紫友芸能祭 (2015年5月30日 成増アクトホール) で軽音楽研究会のOBバンドによって初演。

関連項目

脚注

  1. 昭和54年新聞『創作』12月25日第106号
  2. 2.0 2.1 50年記念誌 半世紀 3ページ欄外
  3. 昭和31年新聞『創作』6月