「伊藤長七胸像」の版間の差分

提供:五中・小石川デジタルアーカイブ
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昭和4年、財団法人紫友会から[[紫友同窓会]]が独立し、その事業として故[[伊藤長七]]氏の胸像建設が予算3000円で可決された。碑文の草案は[[橘純一]]、製作は本山白雲。講堂の前にあったが台座が戦災にあい、以後校長室、紫友会館内と場所を移し、2016年現在は正面玄関入り口近くに設置されている。
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昭和4年、財団法人紫友会から[[紫友同窓会]]が独立し、その事業として故[[伊藤長七]]氏の胸像建設が予算3000円で可決された。昭和4月19日に除幕式が行われた。
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碑文の草案は[[橘純一]]、製作は本山白雲。講堂の前にあったが台座が戦災にあい、以後校長室、紫友会館内と場所を移し、2016年現在は正面玄関入り口近くに設置されている。

2017年3月13日 (月) 10:27時点における版

伊藤長七胸像 (いとうちょうしちきょうぞう)は、初代校長伊藤長七の栄誉を称えて造られた胸像である。

伊藤長七胸像

経緯

昭和4年、財団法人紫友会から紫友同窓会が独立し、その事業として故伊藤長七氏の胸像建設が予算3000円で可決された。昭和4月19日に除幕式が行われた。

碑文の草案は橘純一、製作は本山白雲。講堂の前にあったが台座が戦災にあい、以後校長室、紫友会館内と場所を移し、2016年現在は正面玄関入り口近くに設置されている。