「ハワイ」の版間の差分

提供:五中・小石川デジタルアーカイブ
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'''ハワイ'''は昭和から平成初期の校舎で、正門入ってすぐ目の前のヤシの木が植えてあった一角の呼称である。
 
'''ハワイ'''は昭和から平成初期の校舎で、正門入ってすぐ目の前のヤシの木が植えてあった一角の呼称である。
  
1974年6月に[[織田富勝]]校長が八丈島産樹木を寄贈したもので当初は前庭に植えられていたが、正門脇の音楽教室および音楽準備室の増築に伴い昭和58年11月に校舎沿いの位置へ移された。
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昭和34(1959)年2月、06・08・011回生の卒業記念として贈られた樹木で、緑の少ない学校だったことから緑を増やすという意味で5本のシュロの木と玉いぶきが40本植えられました。当初は前庭に植えられていたが、正門脇の音楽教室および音楽準備室の増築に伴い昭和58年11月に校舎沿いの位置へ移された。
  
ヤシの木があるから名付けられたのだと思うが、この超ウルトラスーパー安直なネーミングは一体誰がいつごろ言いだしたものなんだろう。小石川生にとって「ハワイの前でね」とは、渋谷のハチ公前、新宿のアルタ前、東京の銀の鈴前と並んで待ち合わせをするときによく使う言葉であったが、学外の人にはまったく通じない。
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「ハワイ」という呼称について、ヤシの木があるから名付けられたのだと思うが、この超ウルトラスーパー安直なネーミングは一体誰がいつごろ言いだしたものかははっきりしない。少なくとも昭和36~37年頃の『小石川新聞』の表記では「玄関の記念樹」とあり、まだ「ハワイ」とは呼ばれていない。小石川生にとって「ハワイの前でね」とは、渋谷のハチ公前、新宿のアルタ前、東京の銀の鈴前と並んで待ち合わせをするときによく使う言葉であったが、学外の人にはまったく通じない。
  
 
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2015年12月9日 (水) 13:38時点における版

ハワイは昭和から平成初期の校舎で、正門入ってすぐ目の前のヤシの木が植えてあった一角の呼称である。

昭和34(1959)年2月、06・08・011回生の卒業記念として贈られた樹木で、緑の少ない学校だったことから緑を増やすという意味で5本のシュロの木と玉いぶきが40本植えられました。当初は前庭に植えられていたが、正門脇の音楽教室および音楽準備室の増築に伴い昭和58年11月に校舎沿いの位置へ移された。

「ハワイ」という呼称について、ヤシの木があるから名付けられたのだと思うが、この超ウルトラスーパー安直なネーミングは一体誰がいつごろ言いだしたものかははっきりしない。少なくとも昭和36~37年頃の『小石川新聞』の表記では「玄関の記念樹」とあり、まだ「ハワイ」とは呼ばれていない。小石川生にとって「ハワイの前でね」とは、渋谷のハチ公前、新宿のアルタ前、東京の銀の鈴前と並んで待ち合わせをするときによく使う言葉であったが、学外の人にはまったく通じない。

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