1945年度 (昭和20年度)
できごと
4月13日深夜から14日未明の城北大空襲により、校舎全焼(50周年誌「半世紀」52ページでは二十年四月二十五日と書かれているがこれは間違い)[1][2][3][4]。この日の当直は2年E組。
4月25日[5] 文京区明化国民学校に移転
6月30日 井上宗助校長退職、澤登哲一校長が第十五中学校から転補
11月12日 滝野川区滝野川の旧陸軍東京第一造兵廠内青年学校に移転
12月 教員・生徒・父兄による消費協同組合結成
1月 五中23回D組「想紫会」の初めてのクラス会(昭和16年4月入学、昭和20年3月繰り上げ卒業)[6]
3月 五中として最後の入学試験行われる(全員合格になった。学校資料室に「入学許可書」実物あり)
3月 24回生卒業(昭和17年入学、4年生で卒業)
昭和21年2月中等学校令改正により修業年限5年に戻るが、4年で卒業生47名あり。
昭和17年入学で昭和22年3月卒業の25回生は166名。
校舎焼失
校舎焼失により滝野川区滝野川の旧陸軍東京第一造兵廠内青年学校に移転したため、昭和21年2月に発行された入学志願者心得の学校所在地が滝野川区滝野川町852になっている。