1922年度 (大正11年度)
できごと
4月1日 財団法人紫友会図書室および体育場(開拓館)建築のため校地60坪を同会に貸与す[1][2][3]。ただし、昭和39年度学校要覧の学校沿革のページでは大正11年7月に貸与と記述されている。
4月6日 午前8時より第2学年補欠入学考査[1]
4月7日 第2学年補欠入学考査、体格、口頭、入学許可者氏名発表 入学考査 合格発表[1]
4月9日 午後9時始業式、10時より新入生徒入学式を行う、以上終わり新入生徒の保証人と職員との懇話会に移り、正午過ぎ終わる[1]
4月10日 第1学期授業開始[1]
4月12日 英皇太子御入京奉迎のため臨時休業、職員生徒代表者50名午前11時内幸町にて奉迎[1]
4月13日 九州大学教授櫻井恒次郎博士来校体操科参観、午前11時より講堂に於て「体操の効果」についての講演あり[1]
4月22日 英皇太子御退京につき職員生徒代表50名奉送[1]
5月 物理担当に吉木利光先生着任[4]
5月2日 大磯千畳敷へ遠足を行う[1]
5月26日 全校生徒体格検査[1]
5月27日 9時半より海軍少佐守武幾雄氏講話あり「一、海軍縮小につき 二、尼港事変実見談」[1]
6月1日 午前7時10分始業となる[1]
6月10日 10時半より時の記念日に関する橘、加藤両教諭の講話あり[1]
7月 夏期学校(長野県北佐久郡志賀村の某寺で、約10日間)[5]
7月 紫友会図書室および体育場(開拓館)建設のため校地60坪を同会に貸与[6]
7月3日 第4期分校舎落成、午前10時、東伏見宮御葬儀遙拝式[1]
7月17日 保証人職員懇話会[1]
7月19日 第1学期終業式[1]
7月20日 転地修養隊、水泳部各方面に出発[1]
8月1日 午前10時学校にて職員会、転地隊、水泳部結果報告[1]
9月1日 午前8時始業式[1]
9月2〜9日 7時30分授業開始、1時限40分[1]
9月5日 廣島俊三氏、窪田健二君の追悼会を行う[1]
9月11日 午前8時始業、1時限50分に復す[1]
9月26日 節約につき訓話[1]
10月13日 午後講話あり「消費節約について 貯金局長 天野直嘉氏」[1]
10月28日 午後1時より保証人職員懇話会を開く[1]
10月30日 午後8時より講堂に「ベンチ」を備えつけ9時より学制頒布50年記念式を行う、記念事業として開拓館図書室に学制頒布五十年記念文庫を設置し、校庭に記念植樹をなす[1]
10月31日 午前6時半、宮城前に於て天長節祝賀会を行う[1]
11月3日 第4回開校記念日につき、午前8時より記念式を行う[1]
11月4日 コレラ病終息せるを以て修学旅行の代わりとして遠足を行う、1・2年上州太田金山、3・4年同唐澤山 遠足[1]
12月8〜11日 第2学期定期考査施行[1]
12月16日 伊藤校長1年余の外遊を卒え、神戸に上陸[1]
12月18日 午前8時40分、伊藤校長東京駅着、本校職員および生徒代表者(各学級正副級長列長)駅頭に出迎う、校長は東京府庁に立ち寄り、午前10時本校に帰着、講堂に於て全職員生徒の歓迎を受け、校長よりこれに対し挨拶あり(帰校式挙行)、この日臨時休業[1][6]
12月23日 紫友会の催しとして、伊藤校長歓迎会挙行、この日午前8時30分、講堂に於て第2学期終業式を行う[1][3]
12月25日 冬季休業始まる[1]
1月1日 午前6時半宮城前に於て生徒職員一同拝賀式挙行[1]
1月11日 伊藤校長帰朝記念を兼ねて、第2回創作展覧会、学芸会等開催
1月14日 開拓館開館式
関連項目
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 1.22 1.23 1.24 1.25 1.26 1.27 1.28 1.29 1.30 1.31 1.32 1.33 1.34 1.35 東京府立第五中学校・学校沿革誌
- ↑ 「創作」体育館落成記念号外:昭和36年10月2日
- ↑ 3.0 3.1 創立70周年記念誌
- ↑ 「創作」第66号:昭和40年11月18日
- ↑ 紫友同窓会会報No.11_1983年(昭58年)
- ↑ 6.0 6.1 6.2 「創作」第61号:昭和39年9月29日
- ↑ 「創作」第90号:昭和47年3月15日