1966年度 (昭和41年度)

提供:五中・小石川デジタルアーカイブ
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できごと

4月に地番変更があり、学校所在地が文京区本駒込2丁目29番地29号に改称された。

6月3日 中央委員会主催の初の弁論大会が開催された(7時限目の授業として14:40から体育館にて)。[1]

9月1日 新聞研究会が東京都教育庁学務課を訪ね、学校群制度の意向を関係者から直接聞いている。内容は『創作』第70号昭和41年9月30日に掲載された。

1966年4月に学校群制度の構想が公表され、7月に導入が正式決定される。本校は12月に学校群制度に学校として反対表明するも、1967年2月に同制度による第1回入試が実施された。

入学時クラス集合写真

プライバシーに配慮して低画質版を掲載しています。高解像度版は同窓会事務局で保管しています。閲覧希望の同窓会会員はご自身の卒業年次クラスと氏名とともに同窓会事務局までお問い合わせください。

教職員一覧

職名 教科目 氏名 担任 校務分掌 クラブ顧問 PTA・紫友会
校長 眞田幸男 紫友会理事長
教頭 社会(倫理・政経) 佐々木勘次郎 P副会長・紫理事
教諭 国語 飯田満寿男 3A 生活指導 女子バレー・開拓
金津秀一郎 2D 学年主任 水泳 P委員
木村博 学習指導 写真・新聞
鈴木由次 職員会議議長 山岳
本多浄道 1E 生活指導(長) 中国・男子バスケット P委員
南沢鉄郎 運営 バドミントン 紫理事
森下千代 2B 保健
吉田良夫 3I 学年主任 演劇・文学 P委員
社会 倫社・政経 川野健二郎 人事・生活指導 現代社会・ワンダーフォーゲル 紫理事
蜂須賀孝 1A 職員会議議長 社会問題
世界史 大野慎一郎 2G 運営・予算
佐藤三夫 人事
日本史 小沢正男 学習指導
野田幸三郎 1B 保健
地理 斉藤薫 保健 剣道
高野繁 3H 運営
数学 青木太夫 3E 生活指導 野球
上野礼一郎 保健
国枝久士 教務 ラグビー P委員
竹内誠吉 2A 生活指導 ワンゲル・数理研・ウェートトレーニング
田辺仁士 1D 教務 軽音研
留岡亮二 保健
橋本弘子 3D 教務 卓球
三和一雄 運営(長)・予算 サッカー P書記・紫理事
理科 物理 江渡明穂 2E 学習指導 放送・テニス
佐々木晴彦 教務
松村清 予算(長)・人事・学習指導 電波
化学 住谷正夫 2C 生活指導 化学研
竹野博 学習指導(長) 男子バレー・落語 P委員・紫理事
長谷川俊明 学習指導 化学研
地学 土屋龍雄 3B 保健 フォークダンス・天文・ギター
生物 富永広徳 2C 教務 生物
益守弘道 3C 生活指導 生物
保健体育 熱田恵司 2H 生活指導 男女バスケット
天野彰夫 教務 サッカー
千葉芳弘 1C 生活指導 柔道
西中良夫 運営・予算 ラグビー・器械体操
馬上キミエ 学習指導 陸上
芸術 美術 大勝恵一郎 運営 美術研 紫監事
工芸 前田泰彦 2I 教務
音楽 横田勇 1I 人事・生活指導 音楽研
外国語 英語 新貢治 1F 学年主任 P委員・紫監事
石川昌 生活指導 MIC
井上喜八郎 1G 学習指導 男子バレー
梅山紀一 3G 学習指導 卓球
鈴木宏 2F 教務 山岳
田島敏雄 保健 陸上
三浦訖 教務 女子バレー
山名盛義 人事(長) 英語研・インターアクト P委員
家庭 山口恭子 生活指導 生活
司書 面川洽治 学習指導
養護 大宅三恵子 保健(長) P委員
講師・校医
教科 氏名
講師 国語 石塚晴通
坂梨隆三
社会 世界史 土肥暢子
数学 伊藤和雄
理科 地学 中野春夫
福島和之
生物 八重樫健弋
保健体育 松木尚子
書道 千葉徹
当間きよみ
外国語 英語 Ivan Bell
仏語 浜名政晃
独語 布施敬二郎
校医 内科 中村脩
耳鼻咽喉科 工藤シノブ
眼科 村尾勉
歯科 橋本八朗
薬剤師 高木重長
事務職員関係
職名 氏名 分担 PTA・紫友会
事務長 渡辺利三 統括 P委員・紫理事
事務主事 有賀清之助 庶務
岩崎弘 管財・物件費
加藤直子 歳出
事務主事補 倉茂奈都子 歳入
穂積雪江 歳出
竹内節子 外郭団体会計・奨学金
峰岸誠 管財・消耗品受払
用務員 上原桑吉
鈴木弥太郎
吉田治男
警備員 高見芳美
富永弘
助手 相沢浩子 理科
秋山桂子 図書
代田キヨ子 事務
中千恵子 教務
丹羽昭三 理科
福田正 教務

生徒在籍数

A B C D E F G H I
1年 35 37 38 37 35 36 34 36 37 325
15 15 14 15 15 16 15 16 14 135
50 52 52 52 50 52 49 52 51 460
2年 36 36 35 36 37 36 37 36 36 325
15 15 15 14 14 15 15 15 15 133
51 51 50 50 51 51 52 51 51 458
3年 36 37 35 34 36 36 37 36 36 323
14 15 15 16 15 16 15 16 16 138
50 52 50 50 51 52 52 52 52 461

芸能祭

10月7日開催

飛び入りや発表中の大量のヤジなどが問題となり、次年度以降の開催が危ぶまれる結果となった。

運動会

10月9日開催

創作展 (第00回)

この年の創作展では「統一テーマ」が設定されることとなった。6月2日の定例評議会に創作展委員会からのテーマ設定の提案があったがこれに対して、テーマを設定することで展示内容に方向付けが行われ小石川の自由やクラスの自主性に反するなどの反対意見が出、また「テーマ」なのか「スローガン」なのかといった言葉上の問題での応酬もあって議論が紛糾した。その後公聴会を経て6月7日の第9回臨時評議会で「燃やせ創作一千の力、われわれの輝かしい未来のために日本を見つめよう」という統一テーマが承認された。ただしテーマに従うのはクラス参加のみで、クラブ参加および個人参加については従来通り自由に研究課題を選べることとされた。[1]


10月1日、2日の2日間

参加団体

創作展賞

開拓 (第00号)

目次

  • 編集後記

受賞者

卒業アルバム

関連事項

脚注

  1. 1.0 1.1 新聞『創作』第69号昭和41年7月20日