講堂 (こうどう) は1930年(昭和5年)に完成し、平成5年に解体されるまで存在した建物。1945年 (昭和20年) の空襲により校舎は焼失したが講堂だけは骨組み、壁など主要構造は残ったため戦後復興校舎でも構造を活かして再建された。2階建で1階部分は教室や食堂として使われ、2階部分が講堂。戦前の校舎焼失前は後方に行くほど床が高くなるいわゆる講堂であったが、戦後復興校舎では平床になり普段は体育館的な使い方がされていた。