卒業生数の一覧

提供:五中・小石川デジタルアーカイブ
2015年8月31日 (月) 18:59時点におけるKoishikawa Admin 11 (トーク | 投稿記録)による版 (→‎旧制中学校)
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旧制中学校、高等学校、中等教育学校と制度の変遷に加え、戦中戦後の一時的な制度変更や混乱などでわかりにくい部分がある。

卒回、期生

紫友同窓会では「第xx回/xx期生」といういわゆる卒業ナンバーは、原則として卒業を基準にしている。たとえば府立五中が開校した大正8年4月に入学し、大正13年の3月に卒業した者を「1回」としている。そのため、転出して再入学、留学し編入した場合などで遅れて卒業した場合には同期入学者とは異なる回数となる。

ただし例外もある。いわゆる旧制中学校では通常は5年制であったが4年修了時点で上級校へ進学する者もいた。彼らの回数は卒業待遇者として同期入学者の回数と同じとし、両者を区別する場合には「1回(修)」としている。

さらに、戦中戦後期は混乱や学制の変更によって回数の数え方が複雑になっている(後述)。

旧制中学校

旧制中学校は5年制(戦時中は4年制)であるが、4年修了で旧制高等学校などへ先んじて進学するものもいた。彼らは自分たちの前年度に入学した者たちと一緒に卒業したわけだが、紫友同窓会では同期入学者の卒回に合わせて「xx回(修)」としている。

旧制23回は全員4年卒である。

旧制24回と25回は同期入学であるが、前者は4年、後者は5年卒業である。

旧制26回と新制1回および旧制27回と新制2回は、それぞれ同期である。

卒業年 回卒 修了者[1] 卒業者 備考
大正 13 1 26 134
14 2 49 135
15 3 32 136
昭和 2 4 27 143
3 5 43 156
4 6 30 158
5 7 37 162
6 8 33 153
7 9 27 152
8 10 22 203
9 11 30 188
10 12 21 188
11 13 11 218
12 14 19 200
13 15 20 217
14 16 11 233
15 17 23 216
16 18 14 238
17 19 19 225
18 20 23 216
19 21 44 212
20 22 77 171
20 23 241
21 24 48
22 25 166
23 26 23 86
23 27 11

新制中学校・高等学校

新制中学校は昭和22年4月から発足したが、同年第一学年の生徒のみを義務就学とし、以後学年進行によって24年度に全学年の義務就学が完成した。その間に23年度からの新制高等学校の発足に伴い、旧制中等学校の2年生と3年生は、新設の高等学校に中学校を併設して希望者はその2年生、3年生として教育するなどの経過措置がとられた。[2]

旧制26回と新制1回および旧制27回と新制2回は、それぞれ同期である。

回卒 卒業者
01 190
02 295
03 368
04 436
05 435
06 427
07 388
08 417
09 404
010 422
011 413
012 407
013 409
014 414
015 399
016 403
017 412
018 520
019 459
020 452
021 453
022 446
023 441
024 434
025 429
026 436
027 401
028 404
029 405
030 411
031 415
032 409
033 412
034 410
035 436
036 434
037 403
038 428
039 455
040 433
041 433
042 478
043 429
044 433
045 406
046 388
047 430
048 381
049 359
050 372
051 317
052 358
053 322
054 353
055 331
056 322
057 326
058 326
059 327
060 313
061 164
062 159
063 156

中等教育学校

回卒 卒業者
中等1 159
中等2 158
中等3 156
中等4 157

脚注

  1. 修了者の人数は出典によって数がまちまちで確固たる情報源が見つかっていない
  2. 文部省学制百年史編集委員会「学制百年史」帝国地方行政学会, 1981