1921年度 (大正10年度)
できごと
この年、制服を背広に決定したことが東京百年史[1]に記載されている。背広というのが、当時は珍しかったので、東京百年史にこういう記載がされたのかもしれない。
5月4日 講堂上棟式(この講堂は、初期校舎棟2階に設けられたもので、昭和5年築ののちに戦災に遭ったものとは異なる。)
5月23日 紫友会総会にて、財団法人紫友会設立の件可決
6月29日 文部大臣より財団法人紫友会設立の許可
7月9日 財団法人紫友会より、運動場1338坪(価格2万5千円)の寄付を受ける
7月20日〜転地修養隊(志賀村)
9月1日 第三期分校舎落成
10月4日〜22日 伊藤校長、満州奉天で開催の全国中学校長会議に出席
10月6日〜8日 修学旅行(1年:7・8日、銚子; 2年日光; 3年; 箱根・修善寺)
10月28日〜31日 創作展覧会を開催
11月3日 開校記念式、式後9時より運動会開催
11月11日 伊藤校長、欧米視察旅行に出発(帰着は、翌年12月18日)
2月11日 第4期分校舎着工
2月13日 校庭にて天体観望が催された
3月 栗山津禰が国語科漢文教諭として着任。これは、五中だけでなく全国の中学校(男子校)で初めての女性教諭であった。
創作展覧会
3階の講堂で開催された。
脚注
- ↑ 東京百年史編集委員会編『東京百年史』東京都, 1973年, 別巻 年表・索引