1950年度 (昭和25年度)
できごと
写真部が発足、2年生を中心に山岳部が発足[1]
前年度から続く劇研の内紛に伴い4名が除名[1]
ラグビー部が国体予選でB地区決勝に進出[2]
4月 PTA会費から生徒会費が分離し独立予算制になった[3]
4月 喫茶店新設[1]
4月 定期試験が廃止され、平常点で採点することに[1][4]
4月26日 先の学年末から取り外されていた黒板が、塗り替えを終えて教室に戻った[1]
4月27日 2年生、1年生の女子生徒による初の女性大会(女子の会)が数名の女性教師を交えて開かれる[1]
5月 自治会規約改正。生徒大会を最高議決機関とし、全校クラブ連合を新設[4]
5月 清掃アルバイト制導入[4]
5月29日 「小石川高校新聞」第10號発行
6月10日 PTA総会[1]
6月11日 劇団公演[1]
6月14日 東大管絃楽団がスクールミーティングの時間に演奏会を開く(於:講堂)[5]
6月16日 プール開き[1]
6月17日 6/6のスクールミーティング時に予定されていたが機械故障により中止となった映画「乙女の星」の無料観賞会(鑑賞会?)が池袋の日勝館で行われた[5]
7月10日 1週間水泳指導[1]
7月19日 「小石川高校新聞」第11號発行
7月20日 終業式[1]
1学期末に新自治会規約が決定[2]
前年まで小石川高校校外の人の経営に委ねられていた駕籠町のプールが、昭和25年の夏から本校の経営に移ることになる[5]
蹴球部が夏休み中に二本松で10日間合宿[2]
9月12日 新自治会規約による自治委員長が選出される[2]
9月26日 「小石川高校新聞」第12號発行
10月27日 高等学校では唯一、バイブルクラス主催により、元オリンピック選手でもあるザンベリーニ牧師らを迎えて講演と映画の会が行われる。[7]
10月28日 藝能祭(芸能祭)(予定。10月29日との記載もある。創立70周年記念誌には「芸能祭、創作展」11月とあり)[2][6]
11月 第3回模擬試験(予定)[2]
11月2日 生徒集会時に放送部による放送劇「ゆびぶえ」(中村新吉作)を上演(於:講堂)。[7]
12月8日 「開拓」第37号発行[8]。 36号所在不明。創立70周年記念誌には「37号復刊」とあり
12月16日 自治委員会で新聞研究会の解散を指令、その後小石川高校新聞部が発足し、「小石川高新聞」を創刊[9]。[10]
12月19日~21日 期末整理(予定)[2]
12月23日 終業式(予定)[2]
12月24日 冬期休暇開始(予定)[2]
1月29日 「小石川高新聞」第1号発行[9]
2月14日 「小石川高新聞」第2号発行[11]
3月6日 「小石川高新聞」第3号発行[12]
3月17日 合格発表(予定)[9]
3月17日 終業式(予定)[9]
映画研究会が映画「スクールライフ」を製作。[12]
公認クラブの家庭研究会を教養部と改称。[12]
新年度より家庭科を新たに設置(予定)。[12]
逐年一年生写真帳
プライバシーに配慮して低画質版を掲載しています。高解像度版は同窓会事務局で保管しています。閲覧希望の同窓会会員はご自身の卒業年次クラスと氏名とともに同窓会事務局までお問い合わせください。
開拓 (第37号)
関連項目
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 「小石川高校新聞」第10號:昭和25年5月29日
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 「小石川高校新聞」第12號:昭和25年9月26日
- ↑ 「創作」第90号:昭和47年3月15日
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 創立70 周年記念誌
- ↑ 5.0 5.1 5.2 「小石川高校新聞」第11號:昭和25年7月19日/(2)
- ↑ 6.0 6.1 6.2 「創作」第113号:昭和56年7月20日
- ↑ 7.0 7.1 7.2 「小石川高校新聞」第13號:昭和25年11月12日
- ↑ 「開拓」第三十七號(昭和25年12月8日発行)
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 「小石川高新聞」第1号:昭和26年1月29日
- ↑ 新聞部と出版部に分裂? 創立70周年記念誌には「新聞研究会編集方針をめぐって分裂『小石川高校新聞』と『小石川高新聞』を発行」とあり
- ↑ 「小石川高新聞」第2号:昭和26年2月14日
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 「小石川高新聞」第3号:昭和26年3月6日