1967年度 (昭和42年度)
できごと
4月1日 都立高校入学選抜(入試)制度が学校群制度に変更になり、この年の4月入学生が学校群制度による最初の入学生であった。学校群制度において本校は竹早高校とともに第41群。学力検査は国数英三科目、これと内申書による評価によって合格者が決定した。[1][2][3]
この年、三大行事に統一スローガンが設定されることになった。初の三大行事統一スローガンは「春秋」
夏季講習(夏季休業中)[4]
各運動部合宿(夏季休業中)[4]
水泳講習(夏季休業中)[4]
数学科に留岡先生着任。[5]
卒業生(2回生)の吉識雅夫氏、渡辺武男氏が日本学術会議の学士院賞を受賞。[5]
保田水泳寮開設(夏季休業中)[4]
4月に学校群制度の構想が公表され、7月に導入が正式決定される。本校は12月に学校群制度に学校として反対表明するも、1967年2月に同制度による第1回入試が実施された。
4月 地番変更があり、学校所在地(住所表示)が文京区本駒込2丁目29番地29号に改称された。[6][3]
4月 新年度より通知表の評価が、従来の5段階性から10段階制に変更。[7]
4月中旬 集団検診[4]
4月8日 始業式[4]。
4月8日 入学式[4]。
4月20日 身体検査(内科、測定)[4]
5月2日 映画教室(於:新宿厚生年金会館)。[5]
5月14日 PTA総会[4]
5月18日 遠足[4]
5月25日 「創作」第68号発行[5]
5月26日~28日 中間考査[4]
6月2日 校内親善クラス対抗バレーボール大会開始。[8]
6月3日 中央委員会主催の戦後初の弁論大会が開催された(7時限目の授業として14:40から体育館にて)。[8][9]
6月6日 模試(3年)[4]
6月15日 スクールミーティング「第1回歌う会」開催(於:音楽室)。[8]
6月16日 校内体育大会開始。[8]
6月19日 インターアクトクラブ発足。[8]
6月19日 東京都高等学校音楽連盟主催第四地区音楽会に音楽研究会と軽音楽研究会が出演(於:武蔵野音楽大学)。[8]
6月22日 スクールミーティング「第2回歌う会」開催(於:中庭)。[8]
7月9日 授業打ち切り[4]
7月11日~14日 学期末考査[4]
7月13日 東京都教育委員会が昭和42年度(1967)より学校群と入試科目3教科実施を決定。[10]
7月20日 「創作」第69号発行[8]
7月20日 終業式[4]
7月20日~26日 3年修学旅行[4]
9月1日 始業式[4]
9月1日 新聞研究会が東京都教育庁学務課を訪ね、学校群制度の意向を関係者から直接聞いている。内容は「創作」第70号昭和41年9月30日に掲載された。
9月上旬 集団検診[4]
9月20日・21日 模試(3年)[4]
9月26日~10月2日 インターアクトクラブ主催「宮古島、足和田村救済募金」(台風被災地カンパ)で6万6078円が集まる。[11]
9月30日 「創作」第70号発行[10]
10月6日 「クラブ数30制限」などを盛り込んだ生徒自治会規約改正が生徒総会で可決できず。[11]
10月31日~11月2日 中間考査[4]
11月24日 「創作」第71号発行[11]
11月24日・25日 模試(3年)[4]
12月 学校群制度に学校として反対表明。[3]
12月14日 授業打ち切り[4]
12月15日~19日 学期末考査[4]
12月24日 終業式[4]
12月24日~29日 スキー講習[4]
1月 中央委員総選挙で会長候補が不信任。[12]
1月9日 始業式[4]
1月14日 「創作」第72号発行[13]
1月28日 授業打ち切り(3年)[4]
1月29日 東京都高等学校音楽連盟主催音楽会に音楽研究会が出演(於:武蔵野音楽大学)。[12]
2月1日 学習院大学木下(大下との記載もあり)是雄教授講演「薄膜の世界」(於:第一視聴覚教室)。[12]
2月3日 生徒総会で生徒自治会規約改正案が否決。[12]
2月10日 哲学者・柳田謙十郎氏講演「建国記念日について」(於:視聴覚室)。[12]
2月24日 中央委員総選挙再選挙で大戸君が新会長に当選。[12]
3月1日 「創作」第73号発行[12]
3月1日 「開拓」第53号発行[14]
3月7日 授業打ち切り(1、2年)[4]
3月8日~11日 学期末考査[4]
3月15日 卒業式[4]
3月18日 終業式[4]
3月22日~26日 2年生(新3年)修学旅行(瀬戸内海)[15][4]
雪の小石川
昭和43年2月15日は東京都区部では大雪(気象庁の記録によると昼は雪、夜は大雪で合計積雪量14cm)が降った。翌16日に生徒や教職員が雪合戦や雪像、かまくら作りなどで遊ぶ姿を収めた写真が学校資料室に残されている。気象庁の記録によると16日昼の天気概況は晴一時雪
教職員一覧
職名 | 教科目 | 氏名 | 担任 | 校務分掌 | クラブ顧問 | PTA・紫友会 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
校長 | 眞田幸男 | 紫友会理事長 | |||||
教頭 | 社会(倫理・政経) | 佐々木勘次郎 | P副会長・紫理事 | ||||
教諭 | 国語 | 飯田満寿男 | 職員会議議長 | 女子バレー | |||
大平浩哉 | 2E | 生活指導 | ラグビー | ||||
金津秀一郎 | 3D | 学年主任 | 水泳・中国語 | P委員 | |||
木村博 | 3G | 人事・学習指導 | 写真研 | ||||
鈴木由次 | 1E | 運営 | 山岳 | 紫監事 | |||
宮城達郎 | 保健 | ||||||
森下千代 | 3B | 保健 | フォークダンス | ||||
吉田良夫 | 学習指導 | 演劇・文学 | |||||
社会 | 倫社・政経 | 川野健二郎 | 1A | 学年主任 | 現代社会・ワンダーフォーゲル | P委員・紫理事 | |
蜂須賀孝 | 2A | 運営 | 社会問題・新聞 | ||||
世界史 | 佐藤三夫 | 人事・保健 | |||||
日本史 | 小沢正男 | 生活指導 | 開拓編集 | ||||
野田幸三郎 | 2B | 運営 | |||||
毛利和夫 | 生活指導 | 野球・新聞 | |||||
地理 | 斉藤薫 | 運営 | 剣道 | 紫理事 | |||
高野繁 | 学習指導 | ||||||
数学 | 青木太夫 | 生活指導(長) | |||||
上野礼一郎 | 保健 | ||||||
国枝久士 | 1G | 教務(長) | ラグビー | P委員 | |||
竹内誠吉 | 3A | 生活指導 | ワンゲル・数理研・写真・自治会 | ||||
田辺仁士 | 2D | 教務 | 軽音研 | ||||
留岡亮二 | 1D | 教務 | バドミントン・鉄道 | ||||
橋本弘子 | 生活指導 | 卓球 | |||||
三和一雄 | 運営(長)・予算 | サッカー | P書記・紫理事 | ||||
理科 | 物理 | 江渡明穂 | 3E | 生活指導 | 自治 | ||
佐々木晴彦 | 1I | 教務 | |||||
松村清 | 3C | 予算(長)・運営 | テニス・電波 | ||||
化学 | 住谷正夫 | 2H | 保健 | 化学研 | |||
竹野博 | 学習指導(長) | 男子バレー・落語 | P委員・紫理事 | ||||
長谷川俊明 | 1H | 生活指導 | 化学研 | ||||
地学 | 土屋龍雄 | 学習指導 | 天文・ギター | ||||
生物 | 大滝末男 | 学習指導 | 生物研・水泳 | ||||
春田俊郎 | 教務 | 生物研 | |||||
保健体育 | 熱田恵司 | 3H | 生活指導 | 男女バスケット | |||
千葉芳弘 | 2C | 生活指導 | 柔道 | ||||
西中良夫 | 人事・教務 | 器械体操 | |||||
三澤好章 | 1B | 保健 | サッカー | ||||
馬上キミエ | 1C | 学習指導 | 陸上 | ||||
芸術 | 美術 | 大勝恵一郎 | 職員会議議長 | 美術研 | |||
工芸 | 前田泰彦 | 3I | 教務 | ||||
音楽 | 横田勇 | 2I | 人事・学習指導 | 音楽研 | |||
外国語 | 英語 | 新貢治 | 2F | 学年主任 | P委員・紫監事 | ||
石川昌 | 学習指導 | ||||||
井上喜八郎 | 2G | 学習指導 | 男子バレー | ||||
飯島周 | 学習指導 | ||||||
鈴木宏 | 3F | 教務 | |||||
田島敏雄 | 1F | 生活指導 | 陸上 | ||||
三浦訖 | 教務 | 女子バレー | |||||
山名盛義 | 人事(長) | 英語研・インターアクト | P委員 | ||||
家庭 | 山口恭子 | 保健 | 生活 | ||||
司書 | 面川洽治 | 学習指導 | |||||
養護 | 大宅三恵子 | 保健(長) | P委員 |
教科 | 氏名 | ||
---|---|---|---|
講師 | 国語 | 守屋禎次 | |
社会 | 世界史 | 土肥暢子 | |
数学 | 伊藤和雄 | ||
理科 | 生物 | 八重樫健弋 | |
保健体育 | 松木尚子 | ||
書道 | 千葉徹 | ||
当間きよみ | |||
外国語 | 英語 | Ivan Bell | |
川内野三郎 | |||
仏語 | 竹田 | ||
独語 | 布施敬二郎 | ||
家庭 | 飽田典子 | ||
校医 | 内科 | 中村脩 | |
耳鼻咽喉科 | 工藤シノブ | ||
眼科 | 村尾勉 | ||
歯科 | 橋本八朗 | ||
薬剤師 | 高木重長 |
職名 | 氏名 | 分担 | PTA・紫友会 |
---|---|---|---|
事務長 | 渡辺利三 | 統括 | P委員・紫理事 |
事務主事 | 有賀清之助 | 庶務 | |
岩崎弘 | 管財・物件費 | 紫書記 | |
加藤直子 | 歳出 | ||
事務主事補 | 倉茂奈都子 | 歳入 | |
西本君子 | 歳出 | ||
竹内節子 | 外郭団体会計 | ||
峰岸誠 | 消耗品受払・奨学金 | ||
用務員 | 上原桑吉 | ||
鈴木弥太郎 | |||
吉田治男 | |||
警備員 | 高見芳美 | ||
富永弘 | |||
助手 | 片岡雪夫 | 事務 | |
鴨原正夫 | 理科 | ||
水道一敏 | 理科 | ||
中千恵子 | 教務 | ||
福田正 | 教務 | ||
藤田幸一 | 図書 |
生徒在籍数
組 | A | B | C | D | E | F | G | H | I | 計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1年 | 男 | 34 | 35 | 35 | 35 | 34 | 34 | 33 | 34 | 34 | 308 |
女 | 15 | 15 | 15 | 14 | 15 | 15 | 15 | 14 | 15 | 133 | |
計 | 49 | 50 | 50 | 49 | 49 | 49 | 48 | 48 | 49 | 441 | |
2年 | 男 | 35 | 36 | 38 | 37 | 35 | 36 | 33 | 36 | 36 | 322 |
女 | 15 | 15 | 14 | 15 | 14 | 16 | 15 | 16 | 14 | 134 | |
計 | 50 | 51 | 52 | 52 | 49 | 52 | 48 | 52 | 50 | 456 | |
3年 | 男 | 35 | 36 | 36 | 37 | 37 | 36 | 37 | 35 | 36 | 325 |
女 | 14 | 15 | 15 | 14 | 14 | 15 | 15 | 15 | 13 | 130 | |
計 | 49 | 51 | 51 | 51 | 51 | 51 | 52 | 50 | 49 | 455 |
三大行事
統一スローガン「春秋」
体育祭
9月26日開催
F組が総合優勝。
この年の体育祭では中央委員会からの提案によって「外出許可証」の発行が行われた。「外に出ていっても、街中でフラフラしているか、どこかへ遊びにいってしまうか、家へ帰って勉強するのがオチである。また体育祭というものは、生徒会全体で盛り上げなければならないので、個人個人が勝手なことをしていたのではいけない。体育祭は授業の一環として行われているのであるから、外へ出て遊ぶなんてとんでもない」[16]というのが中央委員会が外出許可証を発行した理由。
芸能祭
9月27日文京公会堂にて開催
創作展 (第00回)
昨年度は統一テーマが設定されたが、今年度は廃止された。それに代わり三大行事を通しての「スローガン」が設定されることとなった。
9月30日、10月1日の2日間
開拓 (第00号)
目次
- 編集後記
受賞者
卒業アルバム
関連事項
脚注
- ↑ 「創作」第113号:昭和56年7月20日
- ↑ 創立50周年記念誌
- ↑ 3.0 3.1 3.2 創立70周年記念誌
- ↑ 4.00 4.01 4.02 4.03 4.04 4.05 4.06 4.07 4.08 4.09 4.10 4.11 4.12 4.13 4.14 4.15 4.16 4.17 4.18 4.19 4.20 4.21 4.22 4.23 4.24 4.25 4.26 4.27 4.28 4.29 4.30 4.31 4.32 4.33 4.34 高等学校「学校要覧」昭和42年度
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 「創作」第68号:昭和41年5月25日
- ↑ 紫友同窓会会報 no.41_2013年(平成25年)
- ↑ 「創作」第67号:昭和41年3月5日
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 8.7 「創作」第69号:昭和41年7月20日
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 「自治会報」15号(1967年3月18日)
- ↑ 10.0 10.1 「創作」第70号:昭和41年9月30日
- ↑ 11.0 11.1 11.2 「創作」第71号:昭和41年11月24日
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 12.5 12.6 12.7 「創作」第73号:昭和42年3月1日
- ↑ 「創作」第72号:昭和42年1月14日
- ↑ 「開拓」第53号(昭和42年3月1日発行)
- ↑ 「創作」第74号:昭和42年5月23日
- ↑ 『創作』第76号昭和42年11月25日