1930年度 (昭和5年度)
できごと
4月7日 始業式、入学式[1]
4月19日 肺炎のため本年1月以来来相州平塚の杏雲堂病院に入院し、帝大真鍋教授の手で療養中だった伊藤長七校長が逝去[2][1][3]
4月23日 故伊藤長七校長の葬儀が午後3時より、校庭において校葬としてしめやかに執行、参列医者は数千人に上り、同日夕、雑司ヶ谷墓地に埋葬[2][1]
4月28日 東京府立第三高等女学校長落合寅平公立中学校長に任じ本校校長に補せられる[1]
4月29日 天長節、宮城前にて拝賀式[1]
4月30日 靖国神社例祭、校庭にて遙拝[1]
5月 特別会員委員会で伊藤長七校長の胸像建設について満場一致で賛成[4]
5月5日 端午ノ会、明治神宮参拝、揚鯉[1]
5月10日 落合寅平校長着任[1]
5月12日 4年生関西方面に修学旅行に出発[1]
5月15日 5年生身延、伊豆地方へ修学旅行に出発[1]
5月16日 3年生は平泉、松島、水戸方面、2年生は足利伊香保方面、1年生は箱根地方へそれぞれ修学旅行に出発[1]
5月27日 海軍記念日、講堂にて訓話[1]
6月2〜5日 臨時考査[1]
6月20日 紫友同窓会独立承認 [4]
6月20日 職員保証人懇話会[1]
6月21日 財団法人紫友会事務所建築のため校地15坪8合7勺を同会に貸与す[1]
7月7〜10日 第1学期期末考査[1]
7月12日 武道夏稽古開始[1]
7月15日 「開拓」第17号発行
7月19日 終業式[1]
7月20日 転地修養隊、日光へ出発(この年から日光か?他、水泳部(保田)、キャンプ隊(浅間山麓)、登山隊(日本アルプス)出発)[1]
9月1日 始業式[1]
9月2日 転入学考査[1]
9月22, 23日 4年生野営[1]
9月25日 紫友会物故会員慰霊祭[1]
10月1〜4日 5年生那須金丸原に野営[1]
10月8日 豊島園にて運動デー[1]
10月18〜21日 臨時考査[1]
10月23日 靖国神社例祭、校庭にて遙拝[1]
10月27日 職員保証人懇話会[1]
10月28日 1年生は金沢八景、2年生は佐原香取方面へ、3年生は武州御嶽へ、4年生は村山貯水池へ、5年生は大磯へ、それぞれ1日遠足を行う[1]
10月29日 午後武道大会[1]
10月30日 教育勅語渙発40年記念式[1]
11月 財団法人紫友会の寄付により運動場2213坪の舗装(工費8800円)成る[1]
11月3日 明治節、神宮に参拝、拝賀式[1]
11月4日 4年生保証人会[1]
11月10日 豊島園にて五中体育デー[1]
11月11日 学芸会[1]
11月28日 教練査閲[1]
12月 第5期分校舎(現講堂)落成[1]
12月3日 若槻禮次郎男の講演あり、第6時に消防演習を行う[1]
12月15〜18日 第2学期期末考査[1]
12月19日 武道冬稽古開始[1]
12月20日 「開拓」第18号発行
12月24日 終業式[1]
1月1日 宮城前にて拝賀式[1]
1月8日 始業式[1]
1月22〜24日 4、5年生模擬試験を行う[1]
2月 前校長伊藤長七の胸像を校内に建設。(紫友同窓会による)碑文草案橘純一、製作本山白雲。この胸像は戦前講堂側の中庭にあったが、戦災で台座破損、現在紫友会館内に安置されている[3]
2月4日 前校長伊藤長七胸像建設のため校地2坪2合5勺を紫友同窓会に於て使用の儀聴届けらる[1]
2月6日 職員保証人懇話会[1]
2月9日 入学願書受付開始[1]
2月10日 武道紅白試合[1]
2月11日 紀元節、講堂にて拝賀式[1]
3月3日 4年修了式[1]
3月5日 第8回卒業式[1]
3月6日 入学資格検定試験[1]
3月11, 12日 入学考査[1]
3月19〜24日 1、2、3学年考査[1]
3月28日 終業式[1]
昭和6年1月中学校令執行規則が改正され、上級学年(3年以上)で第一種・第二種課程を編成し、どちらかを選修させる方式となった。五中では1934年度 (昭和9年度)より第4学年以上が二種課程編成となっている。
関連項目
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 1.22 1.23 1.24 1.25 1.26 1.27 1.28 1.29 1.30 1.31 1.32 1.33 1.34 1.35 1.36 1.37 1.38 1.39 1.40 1.41 1.42 1.43 1.44 1.45 1.46 1.47 1.48 1.49 1.50 1.51 1.52 1.53 1.54 1.55 東京府立第五中学校・学校沿革誌
- ↑ 2.0 2.1 「朝日新聞」昭和5年4月20・24日付(No.10)
- ↑ 3.0 3.1 創立70周年記念誌
- ↑ 4.0 4.1 「創作」第62号:昭和39年12月17日