紫友会館

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紫友会館(しゆうかいかん)は創立50周年記念として1968年7月落成した生徒、教職員、同窓生などのために建設された会館。

寄付の経緯

使われ方

図面

写真

建設

紫友会館建設を伝える新聞『創作』第73号昭和42年3月1日
建築前の完成予想図面。『創作』第76号昭和42年11月25日

昭和43年7月15日立会検査実施。

昭和43年7月20日引き渡し

概要

昭和43年7月20日に完成。1階が食堂、2階が大会議室と小会議室。生徒会本部としても利用、3階が合宿で利用する14畳の大和室と小和室、洋室が2つ。小和室は教員の休養室と生活研究会の茶道部が利用する。洋室は合宿時に教員が泊まることを想定している。

紫友会館の完成を伝える新聞『創作』第79号昭和43年7月20日

昭和52年7月に食堂閉鎖。

元食堂が改装され昭和53年4月から特別講座などの大教室になった。[1]

耐震基準を満たさないことから生徒の立ち入りが禁止され、紫友同窓会が事務所および会議に利用するのみとなった。

食堂

開設当初は日に500人ほどの利用があったようだが、校外の飲食店や弁当の生徒が増えたため利用者は徐々に減少した。昭和51年4月に学校が行ったアンケート調査によると調査人員230名中校内食堂を利用する者85名に対して校外店を利用する者が79名とほぼ同数だったことが新聞『創作』昭和51年7月20日発行第93号に掲載されている。

利用者数の減少と材料費の高騰により昭和51年6月1日に値上げがあり、そば120円、カレー240円になったことが新聞『創作』昭和51年7月20日発行第93号に書かれている。

その後も利用は伸び悩み、昭和52年7月に食堂は閉鎖された。

関連事項

脚注

  1. 紫友同窓会報No.5