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2016年11月20日 70周年記念総会を実施。この場で70周年記念バレー部部史が参加者に配布された。 | 2016年11月20日 70周年記念総会を実施。この場で70周年記念バレー部部史が参加者に配布された。 |
2023年10月22日 (日) 15:12時点における版
バレー部は、1946年(昭和21年)に創部された部活動である。
概要
1945年(昭和20年)体育の竹内利貞教諭を中心に同好会的なバレー部活動が始まった。正式な部活動として活動が始まったのは翌年の1946年(昭和21年)。
1952年(昭和27年)にOB/OGと現役の会「五中クラブ」が発足。毎年6月頃にその年の卒業生が現役を含めた定期会合を開き、現役のキャプテンや卒業生からのコーチを選んでいた。
学校との連携を強化した現役支援をするため、昭和40年代卒業生(通称「フォーティーズ」)が主体となり、他の年代の卒業生らと調整し2003年(平成15年)11月29日に五中クラブ臨時会合を開催して、会則を持つ新制「五中クラブ」が発足した。
五中クラブは年一回の総会を持ち、現役との交流試合、その後の現役とOB/OGとの昼食や講演などを体育館・教室で実施している。
沿革
- 1945年(昭和20年) - 4月13日夜の米機の爆撃により駕籠町の校舎が焼失し、一時学童疎開で空き家になった文京区明化国民学校に移転したが、11月には滝野川の陸軍の施設跡(旧東京第一陸軍造兵廠内青年学校)に再移転し、授業を再開した。この年、体育の竹内利貞教諭を中心に同好会的なバレー部活動が始まった。
- 1946年(昭和21年) - 正式な部としての活動が始まった。9月に東京文理科大学でバレーをなさっていた飯塚(めしづか)先生が体育の教諭として赴任。 飯塚先生の仲介で、第十高等女学校と親睦を深め、練習試合を行なったりした。(まだ戦後まもなくで、男女の仲の距離があった時代にしては珍しいことであった。[1]
- 1947年(昭和22年) - 飯塚先生の指導のもとに力をつけたバレー部は、この年の春の関東大会予選で決勝まで進出。この大会で本校の波多野収通(04回卒)が東京都のベストナイン(HC)に選出された。7月21日から31日 関東大会で対戦し親しくなった群馬県立渋川高校で合宿をおこなった。この合宿がバレー部の最初の合宿である。顧問:飯塚鉄雄
- 1950年(昭和25年) - 4月から本格的な男女共学になり、百名を越す女子生徒が入学し、バレー部にも多数の女子が入部した。8月10日から20日まで千葉県館山市の県立安房高校の校庭で合宿を実施。宿舎は同校の柔道場であった。戦後の食糧難の時代で、外食券を持参しての合宿であった。参加部員は9名。顧問:土橋、コーチ:福田光治
- 1951年(昭和26年) - 4月30日 憲法記念大会の2回戦で都立第三商業と対戦したが、1対2で惜敗(この大会は都立第三商業が優勝)。夏休みに千葉県の保田で合宿。11月に女子が初めて秋季大会に参加した。このころからユニフォームに「V」の字がつくようになった。Victory、五中の五(V)、Valleyballの意味を持たせた。顧問:土橋、コーチ:福田光治
- 1952年(昭和27年) - 8月18日から24日まで、長野県志賀高原・発哺の御茶ノ水大学の寮で合宿。宿舎だけの借用で賄いはなかったので、女子部員4名に食事や洗濯の世話をお願いした。また、コートの場所だけはあったが、設備がなかったので、学校からポールやネットを持参しての合宿であった。OBと現役の会「五中クラブ」が発足。同心町校舎の狭くて天井の低い講堂での不自由な練習を解消しようと、駕籠町の焼け跡のグランドの隅に、瓦礫を取り除き、土砂を篩にかけ、手作りでコートを作った。顧問:土橋、コーチ:(男子)近藤誠男、(女子)橳島久光
- 1953年(昭和28年) - 春の関東大会予選で、ベスト16に入る。4月26日、駕籠町コートの落成記念として、現役とOBの親善試合を実施。「五中クラブ」として、春の大会に参加し日本鋼管と対戦、惨敗。この時の日本鋼管には松平康隆氏がバックで出場していた。8月23日から29日まで、松本市浅間温泉の県営運動場にて合宿。顧問:土橋、コーチ:(男子)近藤誠男、(女子)橳島久光
- 1954年(昭和29年) - 7月21日から30日まで、松本市浅間温泉の県営運動場にて合宿。女子が初めて合宿に参加した。顧問:土橋、コーチ:(男子)波多野義治、(女子)阿部元一
- 1955年(昭和30年) - 8月 松本市浅間温泉の県営運動場にて合宿。顧問:土橋、コーチ:(男子)高橋一郎、(女子)須永悦子
- 1956年(昭和31年) - 春の都大会でベスト8に入り、大宮で行なわれた関東大会に出場。
- 1957年(昭和32年) - 6月 現役生徒の試合を観戦したのち第1期工事が完成した駕籠街校舎の教室で「五中クラブ」総会を開催。
- 1962年(昭和37年) - 6月 前年に完成した体育館を利用して「五中クラブ」開催
- 1963年(昭和38年) - 富士見で合宿。このころに9人制から6人制へ移行。京華高校との対戦を北園高校の校庭で実施し2対0で敗戦
- 1964年(昭和39年) - 富士見で合宿。
- 1969年(昭和44年) - 水戸体育館で行われた関東大会に出場し、ベスト16
- 2006年 - 6月24日に午前中は体育館で現役生、卒業生で試合をし、午後はバレー部設立60周年記念式典を文京グリーンコートで開催。式典には卒業生約40名、現役生約40名が参加。中高一貫教育が始まっていたため現役生のうち4名は中学1年生。
五中クラブ
1952年(昭和27年)に日本鋼管との試合のため発足したバレー部の現役生と卒業生で構成されている組織。毎年6月ごろにその年の卒業生が幹事として定期会合を開き、交流試合など現役高校生や卒業生の交流を行うことが多い。また五中クラブから派遣コーチを出している。
長らく代表者や運営責任者のようなものが存在しない団体だったが、責任ある組織体にしたほうが現役生の後援活動など学校側と打合せなど活動しやすく充実した支援ができると考え、2003年11月29日臨時会合を開催して組織形態を明確にした団体になった。
2006年6月24日 第3回 五中クラブ総会&バレー部創立60周年記念式典を実施。
2016年11月20日 70周年記念総会を実施。この場で70周年記念バレー部部史が参加者に配布された。
理事・事務局体制
役職 | 氏名 | 卒年 | 備考 |
---|---|---|---|
理事 | 小林 | 017 | 会長 |
理事 | 近藤 | 04C | 副会長 |
理事 | 梅島 | 018 | 事務局長 |
理事 | 佐竹 | 024 | 会計監査 |
理事 | 能勢 | 026 | 会計 |
理事 | 越智 | 055 | 会計 |
理事 | 村瀬 | 05 | |
理事 | 下川 | 025 | |
理事 | 森川 | 034 | |
理事 | 杉原 | 053 | |
事務局 | 山本 | 017 | 情報発信関係 |
事務局 | 南波 | 053 | 情報発信関係 |
事務局 | 渡辺 | 022 | 学校関係 |
事務局 | 橋本 | 025 | |
事務局 | 猪瀬 | 030 |
役職 | 氏名 | 卒年 | 備考 |
---|---|---|---|
理事 | 高橋(須田)良子 | 029 | 会長 |
理事:029 高橋美子、038 中野靖子、030 勝谷千恵子、025 大関真佐子、026 能勢卓、034 森川昌子、047 小林義法、054 根本伸樹、055 左治木有菜 会長:029 高橋(須田)良子、事務局長:030 勝谷千恵子、会計監査:024 佐竹宏、会計: 026 能勢卓、055 左治木有菜 事務局:022 佐伯英一郎、053 南波大輔、059 篠原弘樹 顧問:017 小林偉昭、018 梅島雅夫、025 武馬友義
バレー部部史
昭和40年代卒業生が中心となり、元理事である近藤誠男(04C)による創部から昭和30年代に渡っての記録、85周年記念同窓会でのバレー部展示で作成した記録、および幅広い年代からの寄稿等によって構成されている。120部を印刷し2016年11月20日に開催された70周年記念総会で参加者に配布されるなどした。
成績
1947年 春の関東大会予選で決勝まで進出
1951年 憲法記念大会の2回戦で都立第三商業(優勝校)と対戦したが、1対2で惜敗
1953年 春の関東大会予選 ベスト16
1956年 春の都大会 ベスト8、関東大会出場
1967年 夏の五校対抗 初優勝、支部大会3位、秋の東京都新人戦で同大 会優勝の中大付属に敗れ第3位(東京都ベスト4)
1969年 東京都第3支部優勝大会 優勝、関東大会春ベスト16
1970年 東京都第3支部優勝大会 準優勝
1971年 春期都大会ベスト16、関東大会出場一回戦で川越高校に敗退
1972年 春都大会ベスト16(中府に負けた大会)、関東大会の東京代表12校に選ばれ、その関東は16
1975年 全日本9人制バレーボールクラブカップ優勝大会(大阪)参加
1994年 第48回関東大会 参加
2005年 第44回五校バレーボールリーグ 優勝
2005年 第10回夏季都立高校男子バレーボール選手権大会第二支部大会 優勝
2016年 平成28年度文京区中学校大会 第1位
2016年 平成28年度第4ブロック夏季男子バレーボール大会 第3位
脚注
- ↑ 香田則彦(旧制25回卒)談