「立志 開拓 創作 みんなの百年」の版間の差分
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創立100周年事業の検討において、老若男女立場権威を問わず卒業生全員でなにかを作れないかという観点から、歴史的重要事項や重要人物にスポットを当てた年史形式の記念誌(のちの「立志 開拓 創作 百年の系譜」)とは別に本プロジェクトが立ち上がった。 | 創立100周年事業の検討において、老若男女立場権威を問わず卒業生全員でなにかを作れないかという観点から、歴史的重要事項や重要人物にスポットを当てた年史形式の記念誌(のちの「立志 開拓 創作 百年の系譜」)とは別に本プロジェクトが立ち上がった。 |
2020年12月1日 (火) 14:59時点における版
みんなの百年(略称「みん百」)は、五中・小石川の100周年を記念して作成された記念誌。卒業年度ごとに見開き2ページを使い、各年度の卒業生がページを作成した形態をとっている。
企画の経緯
創立100周年事業の検討において、老若男女立場権威を問わず卒業生全員でなにかを作れないかという観点から、歴史的重要事項や重要人物にスポットを当てた年史形式の記念誌(のちの「立志 開拓 創作 百年の系譜」)とは別に本プロジェクトが立ち上がった。
当初は百周年にあたる2018年の発行を目標としていたが編集作業の遅れから2020年に発行された。
目次
創立年 | 卒回 | ページ | タイトル、テーマ | 卒業 | 在籍創立年 |
---|---|---|---|---|---|
1 | G1 | (7) | 五中草創期 | 1924年3月 | 創立1-5年 |
2 | G2 | (9) | よく遊びよく学び | 1925年3月 | 創立2-6年 |
3 | G3 | (11) | 保田の思い出 | 1926年3月 | 創立3-7年 |
4 | G4 | (13) | 諸君を律するのは諸君…… | 1927年3月 | 創立4-8年 |
5 | G5 | (15) | 五中時代の村上信彦 | 1928年3月 | 創立5-9年 |
6 | G6 | (17) | 中学校初の女性教諭 | 1929年3月 | 創立6-10年 |
7 | G7 | (19) | 伊藤長七先生の家庭に同居して | 1930年3月 | 創立7-11年 |
8 | G8 | (21) | 五中天文研究会 | 1931年3月 | 創立8-12年 |
9 | G9 | (23) | 自発的に始めた「代数学」 | 1932年3月 | 創立9-13年 |
10 | G10 | (25) | 千葉徳爾と狩猟伝承 | 1933年3月 | 創立10-14年 |
11 | G11 | (29) | 千葉徳爾と府立五中 | 1934年3月 | 創立11-15年 |
12 | G12 | (31) | ミス・コールフィールドのこと | 1935年3月 | 創立12-16年 |
13 | G13 | (33) | 五中と共に七十年 | 1936年3月 | 創立13-17年 |
14 | G14 | (35) | 府立五中14回生のころ | 1937年3月 | 創立14-18年 |
15 | G15 | (37) | 大運動会での失敗 | 1938年3月 | 創立15-19年 |
16 | G16 | (39) | 「人生は死ぬまでの勝負だ」 | 1939年3月 | 創立16-20年 |
17 | G17 | (41) | 学校教育のひとつの形 | 1940年3月 | 創立17-21年 |
18 | G18 | (43) | 生徒を愛し学問を尊んだ先生方 | 1941年3月 | 創立18-22年 |
19 | G19 | (45) | 自由な校風と大戦:五中19回生の学校生活 | 1942年3月 | 創立19-23年 |
20 | G20 | (47) | 五中とサッカー | 1943年3月 | 創立20-24年 |
21 | G21 | (51) | 青春、自由が許されていた | 1944年3月 | 創立21-25年 |
22 | G22 | (53) | “開拓館”の「図書室」 | 1945年3月 | 創立22-26年 |
23 | G23 | (55) | 勤労動員の記憶 | 1945年3月 | 創立23-26年 |
24 | G24 | (57) | 戦時下の学校生活 | 1946年3月 | 創立24-27年 |
25 | G25 | (59) | ニヒリズムの時代 | 1947年3月 | 創立24-28年 |
26 | G26 | (61) | 校舎消失 | 1948年3月 | 創立25-29年 |
27 | G27 | (63) | 旧制府立五中から新制都立小石川高へ | 1948年3月 | 創立26-29年 |
28 | 01 | 65 | 先輩訪問 | 1949年3月 | 創立25-30年 |
29 | 02 | 67 | 02生の歴史 | 1950年3月 | 創立26-31年 |
30 | 03 | 69 | 03回生のウワサ | 1951年3月 | 創立27-32年 |
31 | 04 | 73 | 04期生の学生生活 | 1952年3月 | 創立28-33年 |
32 | 05 | 75 | ウズベキスタンとの架け橋 | 1953年3月 | 創立32-34年 |
33 | 06 | 77 | 06のページ | 1954年3月 | 創立33-35年 |
34 | 07 | 79 | 櫻井孝次の陸上人生 | 1955年3月 | 創立34-36年 |
35 | 08 | 81 | 我らの思い出 | 1956年3月 | 創立35-37年 |
36 | 09 | 83 | 小石川09回の今日まで | 1957年3月 | 創立36-38年 |
37 | 010 | 85 | 60年前の卒業生の思い出 | 1958年3月 | 創立37-39年 |
38 | 011 | 87 | 澤登校長の思い出 | 1959年3月 | 創立38-40年 |
39 | 012 | 89 | 卒業アルバムにみる在学時の思い出 | 1960年3月 | 創立39-41年 |
40 | 013 | 91 | 修学旅行 | 1961年3月 | 創立40-42年 |
41 | 014 | 95 | 掌編・14期生の時代 | 1962年3月 | 創立41-43年 |
42 | 015 | 97 | 015期有志による座談会 | 1963年3月 | 創立42-44年 |
43 | 016 | 99 | 54年前の仲間たち | 1964年3月 | 創立43-45年 |
44 | 017 | 101 | 部活動・同好会 | 1965年3月 | 創立44-46年 |
45 | 018 | 103 | 座談会:当時を振り返る | 1966年3月 | 創立45-47年 |
46 | 019 | 105 | 写真で振り返る“あの場面” | 1967年3月 | 創立46-48年 |
47 | 020 | 107 | 私たちにとっても卒業50周年 | 1968年3月 | 創立47-49年 |
48 | 021 | 109 | 激動の学校生活 | 1969年3月 | 創立48-50年 |
49 | 022 | 111 | 022期生の「1968」 | 1970年3月 | 創立49-51年 |
50 | 023 | 113 | 「いろいろなこと」がありました | 1971年3月 | 創立50-52年 |
51 | 024 | 117 | あの頃、そして今… | 1972年3月 | 創立51-53年 |
52 | 025 | 119 | 合同クラス会 | 1973年3月 | 創立52-54年 |
53 | 026 | 121 | 在学のころ | 1974年3月 | 創立53-55年 |
54 | 027 | 123 | 振り返っても、今。 | 1975年3月 | 創立54-56年 |
55 | 028 | 125 | 楽しかった高校時代、あれから45年 | 1976年3月 | 創立55-57年 |
56 | 029 | 127 | 記憶の中の○組 | 1977年3月 | 創立56-58年 |
57 | 030 | 129 | 今に続く、小石川の3年間 | 1978年3月 | 創立57-59年 |
58 | 031 | 131 | 031通信 | 1979年3月 | 創立58-60年 |
59 | 032 | 133 | 032期卒業生が語る「私の小石川」 | 1980年3月 | 創立59-61年 |
60 | 033 | 135 | 033大集合! | 1981年3月 | 創立60-62年 |
61 | 034 | 139 | 034期の「立志・開拓・創作」人 | 1982年3月 | 創立61-63年 |
62 | 035 | 141 | 035期の青春 | 1983年3月 | 創立62-64年 |
63 | 036 | 143 | 小石川高校の思い出 | 1984年3月 | 創立63-65年 |
64 | 037 | 145 | 037は今 | 1985年3月 | 創立64-66年 |
65 | 038 | 147 | 東京オリンピック・パラリンピックの目指す世界 | 1986年3月 | 創立65-67年 |
66 | 039 | 149 | 50sub4 Marathon Club | 1987年3月 | 創立66-68年 |
67 | 040 | 151 | 南極観測隊の活動 | 1988年3月 | 創立67-69年 |
68 | 041 | 153 | 小石川を卒業して | 1989年3月 | 創立68-70年 |
69 | 042 | 155 | 今に続く 今も続く | 1990年3月 | 創立69-71年 |
70 | 043 | 157 | 紫友ゆかりのあの店で | 1991年3月 | 創立70-72年 |
71 | 044 | 161 | 小石川ランチ | 1992年3月 | 創立71-73年 |
72 | 045 | 163 | あの頃キーワード | 1993年3月 | 創立72-74年 |
73 | 046 | 165 | 弁護士の仕事と同窓会 | 1994年3月 | 創立73-75年 |
74 | 047 | 167 | 野球チーム「CHOPS」 | 1995年3月 | 創立74-76年 |
75 | 048 | 169 | 永遠にC組! | 1996年3月 | 創立75-77年 |
76 | 049 | 171 | こどもといっしょ | 1997年3月 | 創立76-78年 |
77 | 050 | 173 | みんなの思い出 | 1998年3月 | 創立77-79年 |
78 | 051 | 175 | シゴトコソダテインタビュー | 1999年3月 | 創立78-80年 |
79 | 052 | 177 | 卒業後の小石川との縁 | 2000年3月 | 創立79-81年 |
80 | 053 | 179 | 立志×開拓→現在×創作→未来! | 2001年3月 | 創立80-82年 |
81 | 054 | 183 | 青春の剣道部! | 2002年3月 | 創立81-83年 |
82 | 055 | 185 | 新たな100年を担う次代の皆さんへ | 2003年3月 | 創立82-84年 |
83 | 056 | 187 | 小石川高校と小石川中等教育学校の違い | 2004年3月 | 創立83-85年 |
84 | 057 | 189 | それぞれの高校生活、社会人生活 | 2005年3月 | 創立84-86年 |
85 | 058 | 191 | 30代のリアル | 2006年3月 | 創立85-87年 |
86 | 059 | 193 | 中等への移行:生徒目線と保護者目線 | 2007年3月 | 創立86-88年 |
87 | 060 | 195 | 中等一貫校へ、最後の8クラス | 2008年3月 | 創立87-89年 |
88 | 061 | 197 | 音楽のひろがり:チェンバロ製造からVR! | 2009年3月 | 創立88-90年 |
89 | 062 | 199 | 計4クラス、中高一貫の過渡期 | 2010年3月 | 創立89-91年 |
90 | 063 | 201 | これが小石川最後の学年の本音だ! | 2011年3月 | 創立90-92年 |
91 | 064/中等1期 | 205 | 小石川中等1期という開拓者 | 2012年3月 | 創立88-93年 |
92 | 065/中等2期 | 207 | これが小石川中等2期生だ! | 2013年3月 | 創立89-94年 |
93 | 066/中等3期 | 209 | 「腐れ」縁 | 2014年3月 | 創立90-95年 |
94 | 067/中等4期 | 211 | 百周年記念アンケート | 2015年3月 | 創立91-96年 |
95 | 068/中等5期 | 213 | 「君たちやっぱり小石川生だ!」 | 2016年3月 | 創立92-97年 |
96 | 069/中等6期 | 215 | 6期生にアンケート! | 2017年3月 | 創立93-98年 |
97 | 070/中等7期 | 217 | 小石川の“映え”スポット | 2018年3月 | 創立94-99年 |
98 | 071/中等8期 | 219 | 小石川生の“熱量” | 2019年3月 | 創立95-100年 |
99 | 072/中等9期 | 221 | 小石川ならではの生徒自治 | 2020年3月 | 創立96-101年 |
100 | 073/中等10期 | 223 | オーストラリア海外語学研修 | 2021年3月 | 創立97-102年 |
コラム1 | 26 | 卒業生が語る江上波夫の横顔 |
コラム2 | 48 | 私と小石川:伊藤長七先生との出会い |
コラム3 | 70 | 物理サークル「ニュートン祭」 |
コラム4 | 92 | “生きる悲しみ”のわかる人になってほしい |
コラム5 | 114 | 俵一雄の五中・小石川愛と長七愛 |
コラム6 | 136 | 恐れずに世界に飛び出せ! |
コラム7 | 158 | 日中友好のかけはし「七宝会」 |
コラム8 | 180 | 音楽を通して育む、小石川生に必要な力。 |
コラム9 | 202 | 高校から中高一貫校へ:移行期の小石川生たち |
あとがき
「みんなの百年」部会長のあとがき 伊藤英人(051F)
〈企画の経緯〉 今回、私が「みんなの百年」編集に踏み切ったのは、史的価値を中心に置く従来の重厚な記述型年史では、せっかくつくっても今の時代にあっては読まれないのではないか、という懸念からでした。記述型では大事件や大御所卒業生ばかりがどうしてもクローズアップされるため、平和だった世代、若い世代がフレームアウトしがちで、公平とはいえません。しかし、五中小石川は、一部の世代、書き手、有名人だけのものではありません。卒業生一人一人の中に、それぞれの母校があるのです。それをなんとか表現できないものか、と考えて生まれたのが、全世代が制作に携わる、手にとりやすい参加型百年史です。みんなにとっての、みんなの五中小石川。それを100年積み重ね、「みんなの百年」となりました。
〈参加型企画のねらい〉 同校卒業生であっても、自分に関係がなければ年史に興味がわきません。でも、自分の同級生や担任が載っていたとしたら、懐かしい気持ちになり、読みたくなるのではないでしょうか。ページを開いていけば、同世代の考え、現役生の活躍、上の世代の学校生活など、興味深い記述の数々に自然と関心が広がっていくと思います。ゆくゆくは同窓会の活動へのご参加、ご協力を通じて、同窓生みんなで盛り上がっていきたいと思います。
〈わかりやすいページ構成〉 本の構成を単純化し、「1年につき見開き2ページ×100年」としたことで、時代の流れをつかみやすくなり、好きなページから読めるようになりました。
〈「小石川らしい」ページの集合体〉 見開きの右ページは、各卒業年の担当者に企画段階からおまかせしました。さすが小石川生、バリエーション豊かで、示唆に富む、豪華な原稿が集まりました。読み物としてもおもしろいだけでなく、本企画でなければ集めることが困難であった、当時の現場の声がありました。時代の影響を受けた学生時代を過ごし、その後もさまざまな苦難を「立志・開拓・創作」の精神で乗り越えてきた先輩方の生の声は、説得力があり、心に響きます。こうした声を集めて形にできたことこそ、本企画の真の価値であると思えてなりません。ページに収まりきらない、一言でいうと「小石川らしい」卒業生たちの個性と多様性が存分に感じられます。お察しのとおり、編集作業はたいへんでした!
〈懐の深い紫友同窓会にご支援を!(寄付のお願い)〉 (30代後半ながら)理事会最年少の若造による若気の至りに予算を充て、刊行が遅れに遅れても粘り強く支えていただいた紫友同窓会なくしては貴重な原稿の数々はお蔵入りでした。「小石川の杜プロジェクト」にもあるように、現在、紫友同窓会では現役生との交流を積極的に進めており、若い世代、そしてベテラン世代のますますの参画を歓迎しております。教育界で注目を集めている小石川中等教育学校をさらに盛り上げるため、ぜひ、寄付という形でのサポートをお願いいたします!
〈2万円寄付で「みんなの百年」贈呈中!〉 2021年3月末までに寄付累積2万円以上になる方は、みんなの百年を含む三部作(同窓会制作の「百年の系譜」、学校制作の「百年史(略称:学校正史)」)と野老朝雄さん(040E)デザインのオリジナルマグネットが進呈されます。紫友同窓会事務局まで、メールでお問い合わせください。
〈皆様へ感謝〉 最後になりましたが、「みんなの百年」制作にご協力いただいた皆様、心より感謝申し上げます。「みん百」が皆様の思い出の「1ページ」となり、さらに未来、次の百年に向かって開かれ、つながっていくことを願ってやみません。