「1952年度 (昭和27年度)」の版間の差分

提供:五中・小石川デジタルアーカイブ
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2017年9月12日 (火) 15:33時点における版

できごと

憲法発布記念大会で籠球部がブロック予選優勝。関東大会に出場し二回戦敗退。[1]

4月 3年生修学旅行(於:京都)(予定)[2]

4月 紫友会誕生[3]

5月4日 全国初の中国文化研究会が発足。[4]

5月13日 「小石川高新聞」第9号発行[3]

5月29日 難航していたクラブ細則が自治会で成立。[1]

6月5日 「小石川高校新聞」第7號発行[1]

6月15日~22日 放送研究会が高放連主催による放送劇コンクールに木下順二作「夕鶴」「浮浪の涯」の2作品で参加(予定)。[1]

10月1日 「小石川高校新聞」第8號発行[4]

10月1日 戦後初の大異動発令により、真田教諭が都立多摩高校、成田教諭が都立板橋高校の校長として栄転。[4]

10月 創作展(隔年制になり初)[5]


10月26日 創作展[6]

逐年一年生写真帳

プライバシーに配慮して低画質版を掲載しています。高解像度版は同窓会事務局で保管しています。閲覧希望の同窓会会員はご自身の卒業年次クラスと氏名とともに同窓会事務局までお問い合わせください。


関連項目

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 「小石川高校新聞」第7號:昭和27年6月5日
  2. 「小石川高校新聞」第6號:昭和27年3月10日
  3. 3.0 3.1 「小石川高新聞」第9号:昭和27年5月13日
  4. 4.0 4.1 4.2 「小石川高校新聞」第8號:昭和27年10月1日
  5. 「小石川高校新聞」第9號:昭和27年10月26日
  6. 「創作」第113号:昭和56年7月20日