「1950年度 (昭和25年度)」の版間の差分
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2017年8月17日 (木) 12:11時点における版
できごと
5月 生徒会が紫友会から独立した
10月27日 高等学校では唯一、バイブルクラス主催により、元オリンピック選手でもあるザンベリーニ牧師らを迎えて講演と映画の会が行われる。[3]
10月28日 藝能祭(芸能祭)(予定。10月29日との記載もある。創立70周年記念誌には「芸能祭、創作展」11月とあり)[1][2]
11月 第3回模擬試験(予定)[1]
11月2日 生徒集会時に放送部による放送劇「ゆびぶえ」(中村新吉作)を上演(於:講堂)。[3]
11月12日 「小石川高校新聞」第13號発行。[3]
12月8日 「開拓」第37号発行[4]。 36号所在不明。創立70周年記念誌には「37号復刊」とあり
12月16日 自治委員会で新聞研究会の解散を指令、その後小石川高校新聞部が発足し、「小石川高新聞」を創刊[5]。[6]
12月19日~21日 期末整理[1]
12月23日 終業式[1]
12月24日 冬期休暇開始[1]
1951年 (昭和26年) 3年生修学旅行(於:東北)。参加者は3分の1程度(参加費2,000円の負担が大きかった生徒も多かった模様)。[7]
1951年 (昭和26年) 映画研究会が映画「スクールライフ」を製作。[8]
1951年 (昭和26年) 希望激増の奨学金(育英資金)を本校では72名に貸与。[7]
1951年 (昭和26年) 芸能祭と創作展が1年おき開催に(1951年は芸能祭開催、1953年隔年制廃止)[2]。[9]
逐年一年生写真帳
プライバシーに配慮して低画質版を掲載しています。高解像度版は同窓会事務局で保管しています。閲覧希望の同窓会会員はご自身の卒業年次クラスと氏名とともに同窓会事務局までお問い合わせください。
関連項目
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 「小石川高校新聞」第12號:昭和25年9月26日
- ↑ 2.0 2.1 2.2 「創作」第113号:昭和56年7月20日
- ↑ 3.0 3.1 3.2 「小石川高校新聞」第13號:昭和25年11月12日
- ↑ 「開拓」第三十七號(昭和25年12月8日発行)
- ↑ 「小石川高新聞」第1号:昭和26年1月29日
- ↑ 新聞部と出版部に分裂? 創立70周年記念誌には「新聞研究会編集方針をめぐって分裂『小石川高校新聞』と『小石川高新聞』を発行」とあり
- ↑ 7.0 7.1 「小石川高校新聞」第三號:昭和26年9月27日
- ↑ 「小石川高新聞」第3号:昭和26年3月6日
- ↑ 創立70周年記念誌には「創作展と芸能祭隔年開催とする。本年は創作展」とあり記述内容が逆になっているが、9月21日または22日に藝能祭開催との記事あり