「伊藤長七」の版間の差分

提供:五中・小石川デジタルアーカイブ
ナビゲーションに移動 検索に移動
5行目: 5行目:
 
長野県諏訪郡四賀村(現・諏訪市)出身。1898年に長野師範学校を卒業してしばらく教壇に立ったのち、1901年に東京高等師範学校に入学。卒業後は同校の教諭となり、木崎夏期大学の開催などに尽力した。
 
長野県諏訪郡四賀村(現・諏訪市)出身。1898年に長野師範学校を卒業してしばらく教壇に立ったのち、1901年に東京高等師範学校に入学。卒業後は同校の教諭となり、木崎夏期大学の開催などに尽力した。
  
[[ファイル:Touyoueiwa1906sotugyo.jpg|thumb|東洋英和女学校『110年史』掲載の明治39年3月卒業式の写真に、伊藤長七らしき人物(後列中央)あり。]]
+
東洋英和女学校『110年史』掲載の明治39年3月卒業式の写真に、伊藤長七らしき人物(後列中央)あり。
 +
 
 
明治38年4月に東洋英和女学校に着任し、担当教科は「教育」、大正7年12月に離任<ref>『東洋英和女学校五十年史』 1934(昭和9)年12月発行(編集後記は村岡花子、印刷所は村岡儆三の青蘭社)</ref>。当時の教科課程表によると、「教育」は高等科の科目である。東洋英和女学校に高等科が設置されたのは明治35年度から大正6年度。明治32〜34年度は「補充科」、大正7年度からは東京女子大学に合併。すなわち、伊藤長七が東洋英和女学校に在籍したのは高等科が存在していた時期にほぼ重なる。なお、2014年(平成26年度)上半期にNHKで放送された連続テレビ小説「花子とアン」に登場した柳原白蓮(宮崎燁子)は明治41年東洋英和女学校入学、明治43年英語本科卒業。村岡(安中)花子は、明治36年東洋英和女学校に編入学(10歳)、本科から高等科に進み大正2年3月高等科卒業。(大正3年とする記述もあり。)
 
明治38年4月に東洋英和女学校に着任し、担当教科は「教育」、大正7年12月に離任<ref>『東洋英和女学校五十年史』 1934(昭和9)年12月発行(編集後記は村岡花子、印刷所は村岡儆三の青蘭社)</ref>。当時の教科課程表によると、「教育」は高等科の科目である。東洋英和女学校に高等科が設置されたのは明治35年度から大正6年度。明治32〜34年度は「補充科」、大正7年度からは東京女子大学に合併。すなわち、伊藤長七が東洋英和女学校に在籍したのは高等科が存在していた時期にほぼ重なる。なお、2014年(平成26年度)上半期にNHKで放送された連続テレビ小説「花子とアン」に登場した柳原白蓮(宮崎燁子)は明治41年東洋英和女学校入学、明治43年英語本科卒業。村岡(安中)花子は、明治36年東洋英和女学校に編入学(10歳)、本科から高等科に進み大正2年3月高等科卒業。(大正3年とする記述もあり。)
  

2016年5月21日 (土) 12:40時点における版

伊藤 長七(いとう ちょうしち、1877年4月 - 1930年)は、日本の教育者。東京府立第五中学校校長(初代)

略歴

長野県諏訪郡四賀村(現・諏訪市)出身。1898年に長野師範学校を卒業してしばらく教壇に立ったのち、1901年に東京高等師範学校に入学。卒業後は同校の教諭となり、木崎夏期大学の開催などに尽力した。

東洋英和女学校『110年史』掲載の明治39年3月卒業式の写真に、伊藤長七らしき人物(後列中央)あり。

明治38年4月に東洋英和女学校に着任し、担当教科は「教育」、大正7年12月に離任[1]。当時の教科課程表によると、「教育」は高等科の科目である。東洋英和女学校に高等科が設置されたのは明治35年度から大正6年度。明治32〜34年度は「補充科」、大正7年度からは東京女子大学に合併。すなわち、伊藤長七が東洋英和女学校に在籍したのは高等科が存在していた時期にほぼ重なる。なお、2014年(平成26年度)上半期にNHKで放送された連続テレビ小説「花子とアン」に登場した柳原白蓮(宮崎燁子)は明治41年東洋英和女学校入学、明治43年英語本科卒業。村岡(安中)花子は、明治36年東洋英和女学校に編入学(10歳)、本科から高等科に進み大正2年3月高等科卒業。(大正3年とする記述もあり。)


自由主義的な教育思想を持ち、1919年に後藤新平や沢柳政太郎によって東京府立第五中学校(現・東京都立小石川中等教育学校)の初代校長に抜擢されると、「立志・開拓・創作」の校是や理化学重視の教育を打ち立て、府立五中の創始者として基礎を築いた。

海外渡航経験が非常に豊富であり、アメリカのハーディング大統領との単独面会の実現や、海外からの帰途に「船を間違えた」としてヨーロッパやシベリア方面をまわったことで知られている。島崎藤村の代表小説『破戒』に登場する土屋銀之助という教師は、伊藤長七がモデルである。

作詞

関連項目

在任 後任

1919年度 (大正8年度)

1920年度 (大正9年度)

1921年度 (大正10年度)

1922年度 (大正11年度)

1923年度 (大正12年度)

1924年度 (大正13年度)

1925年度 (大正14年度)

1926年度 (昭和元年度)

1927年度 (昭和2年度)

1928年度 (昭和3年度)

1929年度 (昭和4年度)

1930年度 (昭和5年度)

落合寅平

外部リンク


脚注

  1. 『東洋英和女学校五十年史』 1934(昭和9)年12月発行(編集後記は村岡花子、印刷所は村岡儆三の青蘭社)