「1947年度 (昭和22年度)」の版間の差分
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本校は東京都立第五新制高等学校となる。なお旧制中学校から新制高等学校への移行にともない東京都立第五新制高等学校併設中学校を設置し旧制中学校2年生および3年生は併設中学校の2年生、3年生となった。 | 本校は東京都立第五新制高等学校となる。なお旧制中学校から新制高等学校への移行にともない東京都立第五新制高等学校併設中学校を設置し旧制中学校2年生および3年生は併設中学校の2年生、3年生となった。 | ||
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+ | 5月 地方教育委員会法反対の運動起る。生徒大会、新聞、ラジオへの働きかけなど<ref name="kinensi70">創立70 周年記念誌</ref> | ||
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+ | 5月5日 全校自治会で風紀委員制度を新設<ref name="sinbun">「五高壁新聞」:1948年5月24日</ref> | ||
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+ | 5月24日 「五高壁新聞」発行(社会科の学課活動の一部として校内新聞第一号を創刊) | ||
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+ | 5月26日 全校生徒遠足<ref name="sinbun" /> | ||
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+ | 6月1日 志学会講演会(於:応接室/矢内原伊作氏)<ref name="sinbun1">「五高新聞」NO.1:1948年6月9日</ref> | ||
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+ | 6月5日 放課後、物研生徒約20人が田中・重松・尾沢3教官とともに、祖師谷のNHK技術研究所を見学<ref name="sinbun1" /> | ||
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+ | 6月9日 「五高新聞」NO.1発行(同好会により編集) | ||
6月 校舎復興などの支援を目的とした保護者会が鈴木峯右衛門を会長として発足した(のちの[[PTA]])。 | 6月 校舎復興などの支援を目的とした保護者会が鈴木峯右衛門を会長として発足した(のちの[[PTA]])。 | ||
− | + | 6月 デュッペル氏の視察、再度の視察に備え、校舎清掃に努む。またグループ学習方式を導入。ホーム・ルーム(HR)制、スクールミーティング(SM)も<ref name="kinensi70" /> | |
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+ | 6月 ホーム・ルーム制実施<ref name="sinbun4">「五高新聞」NO.4:昭和23年10月2日</ref> | ||
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+ | 9月1日 各クラスでの投票の結果、創作展、芸能祭、運動会の三大行事すべてが反対多数で否決され、行われないことになった<ref name="sinbun4">「五高新聞」NO.4:昭和23年10月2日</ref>。創立70周年記念誌には「資金不足で中止」との記載になっている。 | ||
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+ | 9月20日 NHKが毎週月曜に新設した新制高校の時間「新しい学校」のプログラムに、演劇研究会が全国新制高校代表として出演を依頼され、第1回の全国放送を行う(2回目以降も出演予定)<ref name="sinbun4" /> | ||
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+ | 9月 蹴球部が東京選手権で優勝<ref name="sinbun4" /> | ||
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+ | 10月2日 「五高新聞」NO.4発行 | ||
− | クラス会:一四回卒D組紫鼎会(昭和7年入学、昭和12年に卒業)、第1回の会合を開催<ref>紫友同窓会会報No.31</ref> | + | クラス会:一四回卒D組紫鼎会(昭和7年入学、昭和12年に卒業)、第1回の会合を開催<ref name="kaiho31">紫友同窓会会報No.31</ref> |
− | 五中蹴球部、戦後第1回全国大会に代表権を取得。全国大会出場<ref>紫友同窓会会報No.5</ref> | + | 五中蹴球部、戦後第1回全国大会に代表権を取得。全国大会出場<ref name="kaiho5">紫友同窓会会報No.5</ref> |
==芸能祭== | ==芸能祭== |
2018年3月23日 (金) 19:19時点における版
できごと
6・3・3制へ移行。新制中学校発足に伴い、1年生は募集せず。
本校は東京都立第五新制高等学校となる。なお旧制中学校から新制高等学校への移行にともない東京都立第五新制高等学校併設中学校を設置し旧制中学校2年生および3年生は併設中学校の2年生、3年生となった。
5月 地方教育委員会法反対の運動起る。生徒大会、新聞、ラジオへの働きかけなど[1]
5月5日 全校自治会で風紀委員制度を新設[2]
5月24日 「五高壁新聞」発行(社会科の学課活動の一部として校内新聞第一号を創刊)
5月26日 全校生徒遠足[2]
6月1日 志学会講演会(於:応接室/矢内原伊作氏)[3]
6月5日 放課後、物研生徒約20人が田中・重松・尾沢3教官とともに、祖師谷のNHK技術研究所を見学[3]
6月9日 「五高新聞」NO.1発行(同好会により編集)
6月 校舎復興などの支援を目的とした保護者会が鈴木峯右衛門を会長として発足した(のちのPTA)。
6月 デュッペル氏の視察、再度の視察に備え、校舎清掃に努む。またグループ学習方式を導入。ホーム・ルーム(HR)制、スクールミーティング(SM)も[1]
6月 ホーム・ルーム制実施[4]
9月1日 各クラスでの投票の結果、創作展、芸能祭、運動会の三大行事すべてが反対多数で否決され、行われないことになった[4]。創立70周年記念誌には「資金不足で中止」との記載になっている。
9月20日 NHKが毎週月曜に新設した新制高校の時間「新しい学校」のプログラムに、演劇研究会が全国新制高校代表として出演を依頼され、第1回の全国放送を行う(2回目以降も出演予定)[4]
9月 蹴球部が東京選手権で優勝[4]
10月2日 「五高新聞」NO.4発行
クラス会:一四回卒D組紫鼎会(昭和7年入学、昭和12年に卒業)、第1回の会合を開催[5]
五中蹴球部、戦後第1回全国大会に代表権を取得。全国大会出場[6]
芸能祭
7月4日、5日開催
女子高等師範学校の講堂にて開催している。パンフレットにはまだ「都立五中」と表記している