「1949年度 (昭和24年度)」の版間の差分
(→関連項目) |
(→できごと) |
||
(同じ利用者による、間の2版が非表示) | |||
45行目: | 45行目: | ||
2月15日 「五高新聞」第9號発行 | 2月15日 「五高新聞」第9號発行 | ||
+ | |||
+ | 東京大学に82名が進学し日本一となる<ref name="sinbun10">「小石川高校新聞」第10號:昭和25年5月29日</ref> | ||
==部活動== | ==部活動== | ||
− | + | 「五高新聞」第9号(昭和25年2月15日)に活動中の部活動一覧が掲載されている。これによると新聞発行時点の紫友会各クラブの名称は下記の通り。 | |
+ | |||
+ | 文化部:社研、哲研、放送、音楽 | ||
+ | |||
+ | 運動部:卓球、野球、蹴球、庭球、籠球 | ||
+ | 科学部:物理、電波、天文、気象 | ||
==関連項目== | ==関連項目== |
2018年3月23日 (金) 21:32時点における最新版
できごと
籠球部が国体東京予選第3支部決勝で開成高校を破り優勝、東京大会へ進出[1]
国体にオール東京として出場した卓球部の清水君・荒井君が第4位[2]
蹴球部が東京都選手権と第4回国民体育大会東京都予選高校の部において、決勝戦で九高に惜敗し準優勝[2]
蹴球部が夏休みに松本で10日間合宿[1]
夏休みに保田水泳会[1]
4月 5日制実施[1]。「5日制」がなにを意味しているのか不明。創立70 周年記念誌には「1954年まで」との記述がある。
7月15日 「五高新聞」第5號発行
9月 共産党五高細胞結成される(数年後消滅)[4]
9月5日 五高新聞研究会が東京都高等学校新聞連盟に正式加盟[1]
9月12日 東京民事部教育課長のスティーグ氏が本校視察[1]
9月22日 「五高新聞」第6號発行
9月25日 卓球部の清水君、荒井君が国民体育大会東京予選兼東京個人選手権大会で好成績(清水2位、荒井5位)をあげ、国体出場が決定[5]
10月 創作展、藝能祭、運動会を30周年記念行事に絡めて、6日間行うことに正式決定(藝能祭2日、創作展2日、運動会1日)[6][4]
10月8日 創立30周年記念日
10月8日〜11日 創作展、藝能祭、運動会[2]
10月11日 創立30周年記念行事の一環として大運動会が開かれる(於:豊島園第一グランド)[5]
10月21日 消防署の火災予防に対する講演で、講演者の消防署長が来校せず[2]
11月2日 3年、2年が遠足で大島へ(10月28日予定だったが台風接近により延期。夜8時に船で東京出発とあるが、11月1日出発であるかは記載なし)[2]
11月21日 「五高新聞」第8號発行
11月21日 五高、九高、十高、石神井高校で合同模試[2]
1月28日 東京都立小石川高等学校と校名改称
2月15日 「五高新聞」第9號発行
東京大学に82名が進学し日本一となる[7]
部活動
「五高新聞」第9号(昭和25年2月15日)に活動中の部活動一覧が掲載されている。これによると新聞発行時点の紫友会各クラブの名称は下記の通り。
文化部:社研、哲研、放送、音楽
運動部:卓球、野球、蹴球、庭球、籠球
科学部:物理、電波、天文、気象