「1944年度 (昭和19年度)」の版間の差分

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4月 修業年限4年制の施行<ref>教育ニ関スル戦時非常措置方策</ref>。
 
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3月 五中蹴球部、関東大会準優勝<ref>紫友同窓会会報No.5</ref>
  
 
3月 22回生卒業(5年)、23回生卒業(4年で卒業)
 
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==修業年限4年制の施行==
 
==修業年限4年制の施行==
 
本来は1943年(昭和18年)に入学した生徒が4年を修了し卒業する1947年(昭和22年)3月に施行する予定であったが、この年4年生になった者から適用され、昭和20年3月には予定どおり5年で卒業となった22回生に加えて4年生が終わったばかりの学生が23回生として同時に卒業となった。
 
本来は1943年(昭和18年)に入学した生徒が4年を修了し卒業する1947年(昭和22年)3月に施行する予定であったが、この年4年生になった者から適用され、昭和20年3月には予定どおり5年で卒業となった22回生に加えて4年生が終わったばかりの学生が23回生として同時に卒業となった。
 
  
 
==脚注==
 
==脚注==

2018年3月17日 (土) 15:20時点における最新版

できごと

4月 修業年限4年制の施行[1]

3月 五中蹴球部、関東大会準優勝[2]

3月 22回生卒業(5年)、23回生卒業(4年で卒業)

この年、2・3年生が学徒作業勤務[3]についた。

紫友会が紫友報国団となる。[4]

修業年限4年制の施行

本来は1943年(昭和18年)に入学した生徒が4年を修了し卒業する1947年(昭和22年)3月に施行する予定であったが、この年4年生になった者から適用され、昭和20年3月には予定どおり5年で卒業となった22回生に加えて4年生が終わったばかりの学生が23回生として同時に卒業となった。

脚注

  1. 教育ニ関スル戦時非常措置方策
  2. 紫友同窓会会報No.5
  3. 緊急学徒勤労動員方策要綱
  4. 創立70 周年記念誌

関連項目