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'''栗原 卯田子'''(くりはら うたこ)は第20代校長。平成19年4月に都立水元高校校長から転補。
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平成26年に男子校である成城中学校・成城高等学校に着任した。
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'''栗原 卯田子'''(くりはら うたこ)は第20代校長。(学校創立以来初めての女性校長)
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平成19年(2007年)4月に都立水元高校校長から転補。
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平成19年度末に定時制を閉過程。(生徒達の希望から体育館にて卒業式・閉過程式典を開催し、その後、剣道場にて「思い出を語る会」を紫友同窓会の協力で実施)
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平成20年度は創立90周年かつ6学年が揃った初めての年であった。90周年記念実行委員会を立ち上げ、同窓会と連携しつつ「チーム小石川」を標語として準備を進め、同窓生の岡野俊一郎氏を記念講演講師として迎えた90周年記念式典(同窓会主催の祝賀会とは別)を開催したほか、記念誌「小石川この十年」の発行や資料室の設置を行った。
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平成20年度に、一人一家庭にホームステイし2週間通学するという、公立で初めての全員参加型海外語学研修を実施。
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平成21年度に、PTAが財団法人紫友会との協力で実施した「戸隠一泊旅行(越水ロッジ泊、信州大学教授の講義等)」に参加。
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平成22年度は小石川高校のSHH(文部科学省・スーパー・サイエンス・ハイスクール)の指定が満期になるため、SSHプロジェクトを立ち上げ、小石川中等教育学校として新規申請に取りかかった。結果として申請が採択され、平成27年度まで、高校の指定を通算すると中等教育学校開校から10年間のSSH指定が決定した。また、同時に申請した、国際バカロレアのディプロマコースの理数分野を体験する「コアSSH」の指定も通った。
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平成23年3月24日に「小石川高校閉校式」を実施(元々3月15日に実施予定であったが3月11日に東日本大震災が発生したため延期)。同時期に小石川高校の『ハワイ』を記念樹として復活。
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平成23年度は中高一貫教育の初めての卒業生が出る年であり、それまでの小石川高校流の進学対策では通用せず中高一貫用対策の必要を実感したことから、その後に向けた新たな進学指導体制の構築と取組みを図った。
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平成24年度に本来なら定年退職を迎えるところ、教育長の命により校長を継続した。
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平成24年5月に、某塾関係者からの通報によりその年の1月に実施した適性検査問題のミスが発覚。採点をやり直し、結果として新たな合格者を出すこととなった。
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また、平成24年7月、企画室にて積立金の個人別管理簿が紛失した。
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平成25年(2013年)4月に男子校である成城中学校・成城高等学校に着任。
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==エピソード==
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*教職に就こうと思ったきっかけの一つが、たまたま手にした4部作の本「音高く流れぬ(村上信彦著)」に描かれていた「G中」の学校や教師像とその根底にある教育理念に心を打たれたことであったが、この「G中」は「五中」がモデルであったことを本校校長に赴任して初めて知り、非常に驚いた。
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*前任校の水元高校は栗原校長を最後に2007年に閉校した。
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*最初の始業式(着任式と同日)でのスピーチは「チーム小石川。主人公はあなたたちです。」で締めくくった。
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*一貫教育6年間を2年毎の3節に区切り「立志期」「開拓期」「創作期」と命名区分した。
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*中等教育後期過程生徒の服装(制服)問題について、生徒達の自治自律の力を信じ、生徒の判断に委ねた。
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*「小石川教養主義」「理数教育」「国際理解教育」の三つの柱を重視し、その具現化のために国や都から何案件ものプロジェクト予算を獲得した。
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*「とにかく嘘をつかないこと」を方針とし、事故やトラブルについて生徒達にも集会等で説明した。
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*最先端の学問分野や社会で活躍するリーダーによる講演を実施する「小石川セミナー」の活性化に尽力した。
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*平成21年3月の終業式に、伊藤長七直孫の伊藤博子さんの朗読「心は駆ける五大州」を全生徒に聴かせた。
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*後任校の成城中学・高等学校は、大正期に、伊藤長七が府立五中の初代校長に抜擢される契機となった著書「現代教育論」の序文を書いた澤柳政太郎博士が校長を務めており、昭和2年にカナダ・トロントで開催された国際教育会議では、五中の伊藤校長と成城の澤柳校長が日本代表を務めた。
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*紫友同窓会会報35号にて、ごあいさつとして以下のことを書いている。「目指すは、人間として優れ、やがては日本国内さらに世界を舞台に活躍できる、スケールの大きな人間を六年間で育てる学校。目の前にいる生徒たちには、教養を高め、リーダーシップ、チームワーク力など、今後に求められる力を身に付け、変化が激しい社会情勢の中で、広い視野に立って変化や課題を自らの視点で的確に捉え、主体的に活躍できる人になってほしいと願っています。」<ref name="dosokai"> 紫友同窓会会報35号 </ref>
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==脚注==
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==関連事項==
 
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2018年7月14日 (土) 15:15時点における最新版

栗原卯田子第20代校長

栗原 卯田子(くりはら うたこ)は第20代校長。(学校創立以来初めての女性校長)


略歴

平成19年(2007年)4月に都立水元高校校長から転補。

平成19年度末に定時制を閉過程。(生徒達の希望から体育館にて卒業式・閉過程式典を開催し、その後、剣道場にて「思い出を語る会」を紫友同窓会の協力で実施)

平成20年度は創立90周年かつ6学年が揃った初めての年であった。90周年記念実行委員会を立ち上げ、同窓会と連携しつつ「チーム小石川」を標語として準備を進め、同窓生の岡野俊一郎氏を記念講演講師として迎えた90周年記念式典(同窓会主催の祝賀会とは別)を開催したほか、記念誌「小石川この十年」の発行や資料室の設置を行った。

平成20年度に、一人一家庭にホームステイし2週間通学するという、公立で初めての全員参加型海外語学研修を実施。

平成21年度に、PTAが財団法人紫友会との協力で実施した「戸隠一泊旅行(越水ロッジ泊、信州大学教授の講義等)」に参加。

平成22年度は小石川高校のSHH(文部科学省・スーパー・サイエンス・ハイスクール)の指定が満期になるため、SSHプロジェクトを立ち上げ、小石川中等教育学校として新規申請に取りかかった。結果として申請が採択され、平成27年度まで、高校の指定を通算すると中等教育学校開校から10年間のSSH指定が決定した。また、同時に申請した、国際バカロレアのディプロマコースの理数分野を体験する「コアSSH」の指定も通った。

平成23年3月24日に「小石川高校閉校式」を実施(元々3月15日に実施予定であったが3月11日に東日本大震災が発生したため延期)。同時期に小石川高校の『ハワイ』を記念樹として復活。

平成23年度は中高一貫教育の初めての卒業生が出る年であり、それまでの小石川高校流の進学対策では通用せず中高一貫用対策の必要を実感したことから、その後に向けた新たな進学指導体制の構築と取組みを図った。

平成24年度に本来なら定年退職を迎えるところ、教育長の命により校長を継続した。

平成24年5月に、某塾関係者からの通報によりその年の1月に実施した適性検査問題のミスが発覚。採点をやり直し、結果として新たな合格者を出すこととなった。 また、平成24年7月、企画室にて積立金の個人別管理簿が紛失した。

平成25年(2013年)4月に男子校である成城中学校・成城高等学校に着任。

エピソード

  • 教職に就こうと思ったきっかけの一つが、たまたま手にした4部作の本「音高く流れぬ(村上信彦著)」に描かれていた「G中」の学校や教師像とその根底にある教育理念に心を打たれたことであったが、この「G中」は「五中」がモデルであったことを本校校長に赴任して初めて知り、非常に驚いた。
  • 前任校の水元高校は栗原校長を最後に2007年に閉校した。
  • 最初の始業式(着任式と同日)でのスピーチは「チーム小石川。主人公はあなたたちです。」で締めくくった。
  • 一貫教育6年間を2年毎の3節に区切り「立志期」「開拓期」「創作期」と命名区分した。
  • 中等教育後期過程生徒の服装(制服)問題について、生徒達の自治自律の力を信じ、生徒の判断に委ねた。
  • 「小石川教養主義」「理数教育」「国際理解教育」の三つの柱を重視し、その具現化のために国や都から何案件ものプロジェクト予算を獲得した。
  • 「とにかく嘘をつかないこと」を方針とし、事故やトラブルについて生徒達にも集会等で説明した。
  • 最先端の学問分野や社会で活躍するリーダーによる講演を実施する「小石川セミナー」の活性化に尽力した。
  • 平成21年3月の終業式に、伊藤長七直孫の伊藤博子さんの朗読「心は駆ける五大州」を全生徒に聴かせた。
  • 後任校の成城中学・高等学校は、大正期に、伊藤長七が府立五中の初代校長に抜擢される契機となった著書「現代教育論」の序文を書いた澤柳政太郎博士が校長を務めており、昭和2年にカナダ・トロントで開催された国際教育会議では、五中の伊藤校長と成城の澤柳校長が日本代表を務めた。
  • 紫友同窓会会報35号にて、ごあいさつとして以下のことを書いている。「目指すは、人間として優れ、やがては日本国内さらに世界を舞台に活躍できる、スケールの大きな人間を六年間で育てる学校。目の前にいる生徒たちには、教養を高め、リーダーシップ、チームワーク力など、今後に求められる力を身に付け、変化が激しい社会情勢の中で、広い視野に立って変化や課題を自らの視点で的確に捉え、主体的に活躍できる人になってほしいと願っています。」[1]

脚注

  1. 紫友同窓会会報35号

関連事項

前任 在任 後任
遠藤隆二

2007年度 (平成19年度)

2008年度 (平成20年度)

2009年度 (平成21年度)

2010年度 (平成22年度)

2011年度 (平成23年度)

2012年度 (平成24年度)

奈良本俊夫