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ムラサキ(紫草)の花をデザインしたもの。ムラサキは武蔵野(東京府・東京都)の意を表現している。ムラサキの花の五弁によって東京府立第五中学・東京都立第五高等学校を表現したものとして東京都立小石川中等教育学校へと受け継がれてきている。 | ムラサキ(紫草)の花をデザインしたもの。ムラサキは武蔵野(東京府・東京都)の意を表現している。ムラサキの花の五弁によって東京府立第五中学・東京都立第五高等学校を表現したものとして東京都立小石川中等教育学校へと受け継がれてきている。 |
2017年11月25日 (土) 09:25時点における最新版
府立第五中学校時代
デザインは五中から美術学校(具体的な学校名がわかる資料がない)に懸賞募集を行ない、同校の岡田教授などが審査にあたった。応募作品78点の中から同校学生の中山修三氏のものが選ばれた。
五中の校章を定めるにあたって伊藤長七は古今集から「紫の一本ゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」という歌を引いた。伊藤長七はこの歌の本来の意味を超えて「紫草が一本咲いていたために、この殺風景な武蔵野も、一段と趣深く感じられる。」と新たな解釈を考えた。そしてどんな分野においても、この「紫草」のような存在になるようにと説いた。[1]
都立第五高等学校・都立小石川高等学校時代
ムラサキ(紫草)の花をデザインしたもの。ムラサキは、武蔵野(東京府・東京都)の意を表現している。ムラサキの花の五弁によって東京府立第五中学校・東京都立第五高等学校を表現したものとして東京都立小石川高等学校へと受け継がれてきている。
五中の校章の中央の「中」を「高」に変えただけと思われているが、よく見ると各花弁中心部の三角模様が五中は直線的であるのに対して高校ではわずかに膨らみをもっている点、がくと思われる部分の輪郭線が五中時代に比べて太くなっている点などに違いが見られる。
都立小石川中等教育学校時代
デザインは五中卒業生の榮久庵憲司(01D)。榮久庵は同時に制服のデザインも担当した。
ムラサキ(紫草)の花をデザインしたもの。ムラサキは武蔵野(東京府・東京都)の意を表現している。ムラサキの花の五弁によって東京府立第五中学・東京都立第五高等学校を表現したものとして東京都立小石川中等教育学校へと受け継がれてきている。
外部リンク
脚注
- ↑ 『創作』第62号第2面