「1972年度 (昭和47年度)」の版間の差分

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==できごと==
 
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4月1日 新宿高校校長[[織田富勝]]本校校長に転補
 
  
6月30日 地下鉄6号線千石駅開設
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この年、紫友同窓会会報の発行を開始。会報の題字は、旧職員の幸田彩果先生の筆による<ref name="70shunen">創立70 周年記念誌</ref>
  
2月 教育問題での紛争・折衝断続的に行われ、期末考査中止
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夏季休業中に水泳講習、クラブ合宿開催<ref name="yoran47">高等学校「学校要覧」昭和47年度/4・5</ref>
  
3月 都費により鉄筋コンクリート3階建の部室が新設
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4月1日 石坂富司教頭着任<ref name="sosaku91">「創作」第91号:昭和47年6月30日</ref><ref name="dosokai1" />
  
3月 校門西側の交通局用地185.36m<sup>2</sup>(43,186,550円)本校用地に移管
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4月1日 [[織田富勝]]校長着任(前任:新宿高校校長)<ref name="dosokai1" /><ref name="60shunen">60周年記念誌</ref><ref name="70shunen" /><ref name="sosaku91" />(「冨勝」との説あり)
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4月8日 始業式<ref name="60shunen" /><ref name="yoran47">高等学校「学校要覧」昭和47年度/4・5</ref>
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4月10日 入学式(男子256、女子140、計396名)<ref name="60shunen" /><ref name="yoran47" />
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4月18日〜4月20日 結核検診<ref name="yoran47" />
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4月26日 定期検診<ref name="yoran47" /><ref name="60shunen" />
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5月1日 芸術鑑賞会終了後、生活指導部教員・該当クラス担任等とK戦線代表が話し合い<ref name="60shunen" />
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5月8日 学校側が事実認識にくい違いのあったことを認めた「声明文」を掲示<ref name="60shunen" />
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5月15日 沖縄本土復帰の日。昼休時、K戦線が集会を開き「授業をボイコットして、永続的討論へ」を呼びかけるも、午後の授業も平静に行なわれる(但し、午後は出欠席をとらない形式)<ref name="60shunen" />
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5月16日 体育祭開始<ref name="sosaku91" />
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5月17日 春の遠足。1年は富士五湖めぐり。2年は大島(船中1泊)。3年は修学旅行を間近かに控え、遠足なしで授業<ref name="yoran47" /><ref name="sosaku91" /><ref name="60shunen" />
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5月18日 生徒会費値上げ承認<ref name="sosaku91" />
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5月28日〜6月1日 3年生が男鹿コース、中尊寺コース、陸中コース(5/29~6/2?)の3コースに分かれ4泊5日の東北への修学旅行<ref name="60shunen" /><ref name="sosaku91" />
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5月29日〜5月31日 1・2年、中間考査<ref name="yoran47" /><ref name="60shunen" />(1974年3月卒業アルバムには「5月28日~」とあり)
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6月17日 放課後、文化委員会主催の映画会と講演会(於・講堂。「水俣」)<ref name="60shunen" />
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6月23日 昭和47年度紫友同窓会委員会が、母校の紫友会館2階会議室で開かれた。午後6時20分から8時5分まで(通知者303名中、福島会長以下33名の委員が参加)<ref name="dosokai1" />
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9月 コンクリート造り3階建ての部室建築を計画<ref name="sosaku92" />
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9月1日 始業式。生徒用下駄箱撤去。校舎内下靴着用解禁(但し、講堂・体育館・保健室及びその他若干の特別教室を除く)<ref name="yoran47" /><ref name="60shunen" />
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10月11日 昭和48年度からのカリ改訂後も、本校特有の特別講座は存続させることを職員会議で確認<ref name="60shunen" />
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10月18日 新全闘連(K戦線・ベ平連らの生徒が連合。10・14に結成)が「公開質問状(学校配布のプリント“修学旅行のねらい”中の辞句等について、13項目の質問)」を提出<ref name="60shunen" />
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10月21日 学校側「回答」掲示<ref name="60shunen" />
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1月10日 全闘連が「公開質問状(中教審路線・来年度教育課程・教職員5段階賃金などに関し、学校当局の見解表明を要求)」を提出。回答は文書か口頭かで学校側・全闘連間で折衝長引く<ref name="60shunen" />
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2月 一部生徒との間に、教育問題をめぐって紛争、折衝断続的に行われ、期末考査も中止された<ref name="70shunen" />
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2月1日 学校側「文書回答」を掲示<ref name="60shunen" />
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2月2日 40分短縮6時限授業。放課後、臨時生徒総会(全闘連要請、署名要求に基づく)は定数不足で不成立。切換えた集会で、1年生から全闘連批判が多く出る。その後、全闘連は“全教員から中教審路線に対する見解を聞きたい”と称して連日のように“団交”を要求<ref name="60shunen" />
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2月10日 授業打ち切り(3年)<ref name="yoran47" />
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2月12日 “一部生徒の質問に答える会(団交①)”(於・紫友会館。全教員出席に対し、参加生徒は、昼休時に30、放課後に21名)<ref name="60shunen" />
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2月14日 LHR時、ガイドブック・予備調査票配布のためにHRに向う担任数名を全闘連が妨害<ref name="60shunen" />
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2月15日 “団交②”(於・紫友会館。全教員出席に対し、参加生徒は、昼休時に18、放課後に11名)<ref name="60shunen" />
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2月16日 「カリ改革強行に抗議の渦を」(立看)と称し、午後から全闘連2名がハンスト突入。但し、放課後の1年に対する選択講座説明会(於・図書館。生徒会主催)は予定通り行なわれる<ref name="60shunen" />
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2月27日 学力検査<ref name="60shunen" />
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2月28日 昼休時、全闘連が中庭で“高校生集会”を開く。これに合流しようとして他校生11名が校内に侵入。中庭入口で生活指導部教員が説得して退散させる<ref name="60shunen" />
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3月 3月末迄に、F棟生徒会部室新設完成。また、校門西側の都交通局用地が本校用地に移管される<ref name="60shunen" />(185.36m<sup>2</sup>(43,186,550円) との説あり)
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3月 生徒部室完成<ref>「創作」第134号:昭和60年3月8日/(1)</ref><ref>紫友同窓会会報No.41_2013年(平25年)(14)</ref><ref name="70shunen" />
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3月 都費により鉄筋コンクリート3階建の部室が新設(紫友同窓会会報No.2によると「(プレハブの物置のあった場所に)。1階は機具置場、更衣室等、2・3階に6つの部室」)
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3月 卒業式中止<ref name="sosaku113">「創作」第113号:昭和56年7月20日/(4)</ref>
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3月1日 「開拓」第59号発行<ref>「開拓」No.59(昭和48 年3 月1 日発行)/ 表紙</ref>
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3月1日 学校側は全闘連の破約行動を非難して“団交”継続を一たん中止<ref name="60shunen" />
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3月3日 全闘連に厳重注意した上で、学校側は“団交”中止姿勢を解く<ref name="60shunen" />
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3月8日 期末考査開始予定日。午前5時頃から、他校生9名と共に全闘連3名がA棟2階にバリケード構築。「中教審路線粉砕・新学習指導要領4月実施阻止・カリ改悪阻止……」等の垂れ幕をA棟4階からたらす。午前9時に「テスト延期(含み2日間)、HRで討論を起こす」の2点を条件にバリ封自主解除開始。午前9時半から各HR討論<ref name="sosaku113" /><ref name="60shunen" />
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3月9日 HR討論続行。但し、学校側が新たに示した考査再編時間割(開始予定日を2日延期し、当初4日間であった考査日数を2日間に圧縮して行う)をハードスケジュールだとする一般生徒の不満が多く出る。校長放送で「テストに関し、生徒の意向集約を待つ」との学校側姿勢を伝える<ref name="60shunen" />
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3月10日 午前10時半から生徒会中央委招集の臨時生徒総会(昼の休憩を挟んで7時間)で、ゲバ・バリ封非難・他校生導入抗議の他に、期末考査再編時間割に対する不満も表明される<ref name="60shunen" />
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3月12日 HRで「明日から終業式迄を休みとし、期末考査は中止」と発表<ref name="60shunen" />
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3月13日 午後1時から全闘連・一般生徒・教員の“討論集会”(於・紫友会館。教員2、生徒28名)<ref name="60shunen" />
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3月15日 卒業式(男子293、女子136、計429名)。講堂で校歌斉唱中、全闘連生徒1名が正面式壇に登ろうとして制止される。卒業式は式場を各HRに切換えて挙行。24日までの間に、バリ封・卒業式妨害を含め、一連の違反行為に関し、中心となった生徒(3年の場合は卒業を延期して)本人と保護者連記の確約書を提出させる<ref name="60shunen" />
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3月20日 修了式。校長が、全生徒に一連の紛争経過と学校態度を説明<ref name="60shunen" />(「終業式」との記述<ref name="yoran47" />もあり)
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3月20日 春季クラブ合宿始まる<ref name="60shunen" />
  
 
==教職員一覧==
 
==教職員一覧==
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==体育祭==
 
==体育祭==
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9月24日開催
  
9月24日開催
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==創作展 (第00回)==
 
==創作展 (第00回)==
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===創作展賞===
 
===創作展賞===
  
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==開拓 (第59号)==
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===目次===
 
===目次===
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*[[1971年度 (昭和46年度)]]
 
*[[1971年度 (昭和46年度)]]
 
*[[1973年度 (昭和48年度)]]
 
*[[1973年度 (昭和48年度)]]
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==脚注==
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2018年8月25日 (土) 11:43時点における最新版

できごと

この年、紫友同窓会会報の発行を開始。会報の題字は、旧職員の幸田彩果先生の筆による[1]

夏季休業中に水泳講習、クラブ合宿開催[2]

4月1日 石坂富司教頭着任[3][4]

4月1日 織田富勝校長着任(前任:新宿高校校長)[4][5][1][3](「冨勝」との説あり)

4月8日 始業式[5][2]

4月10日 入学式(男子256、女子140、計396名)[5][2]

4月18日〜4月20日 結核検診[2]

4月22日 K戦線が、生徒保護者への電話連絡について2年某クラス担任を非難する壁新聞を掲示。放課後、該当クラスでの討論会の中で担任が説明するも、K戦線は非難を継続[5]

4月26日 定期検診[2][5]

5月1日 芸術鑑賞会(於・武蔵野音大ベートーベンホール)[5](「音楽鑑賞会」との説[2]あり)

5月1日 芸術鑑賞会終了後、生活指導部教員・該当クラス担任等とK戦線代表が話し合い[5]

5月4日 開校記念日[2]

5月8日 学校側が事実認識にくい違いのあったことを認めた「声明文」を掲示[5]

5月15日 沖縄本土復帰の日。昼休時、K戦線が集会を開き「授業をボイコットして、永続的討論へ」を呼びかけるも、午後の授業も平静に行なわれる(但し、午後は出欠席をとらない形式)[5]

5月16日 体育祭開始[3]

5月17日 春の遠足。1年は富士五湖めぐり。2年は大島(船中1泊)。3年は修学旅行を間近かに控え、遠足なしで授業[2][3][5]

5月18日 生徒会費値上げ承認[3]

5月20日 PTA総会[2]

5月25日 午後、定例生徒総会(46年度決算・47年度予算案、および2000円から2200円への生徒会費値上げを夫々承認)[5]

5月28日〜6月1日 3年生が男鹿コース、中尊寺コース、陸中コース(5/29~6/2?)の3コースに分かれ4泊5日の東北への修学旅行[5][3]

5月29日〜5月31日 1・2年、中間考査[2][5](1974年3月卒業アルバムには「5月28日~」とあり)

6月17日 放課後、文化委員会主催の映画会と講演会(於・講堂。「水俣」)[5]

6月23日 昭和47年度紫友同窓会委員会が、母校の紫友会館2階会議室で開かれた。午後6時20分から8時5分まで(通知者303名中、福島会長以下33名の委員が参加)[4]

6月30日 「創作」第91号発行[3]

6月30日 地下鉄6号線が巣鴨から日比谷まで開通し、紫友会館に隣接して千石駅が開設される[6][4][5]

7月8日〜7月12日 学期末考査[2][5]

7月12日〜7月13日 夏季クラブ合宿参加希望者検診[5]

7月20日 「創作」第92号発行[6]

7月20日 夏季クラブ合宿参加希望者検診[5]

7月20日 終業式[2][5]

8月12日〜8月19日 午後1時~3時、本校プールで水泳教室(対象、1・2年で水泳不得意者)[5]

9月 コンクリート造り3階建ての部室建築を計画[6]

9月1日 始業式。生徒用下駄箱撤去。校舎内下靴着用解禁(但し、講堂・体育館・保健室及びその他若干の特別教室を除く)[2][5]

9月24日 体育祭[2][5]

9月27日〜9月28日 芸能祭[2][5]

9月30日〜10月1日 創作展[2][5]

10月11日 昭和48年度からのカリ改訂後も、本校特有の特別講座は存続させることを職員会議で確認[5]

10月18日 新全闘連(K戦線・ベ平連らの生徒が連合。10・14に結成)が「公開質問状(学校配布のプリント“修学旅行のねらい”中の辞句等について、13項目の質問)」を提出[5]

10月21日 学校側「回答」掲示[5]

10月25日 LHR時“修学旅行に関して生徒の質問に答える会”(於・講堂。全教員、生徒約100名)[5]

10月26日〜10月30日 2年生が4泊5日の瀬戸内・山陰への修学旅行(約半数は10/27~10/31)[3][5]

10月27日〜10月30日 1・3年中間考査[2][5]

12月13日〜12月16日 学期末考査[2][5]

12月25日 終業式[2][5]

12月25日〜12月30日 スキー教室へ夜行で出発(於・妙高高原、5泊6日)[2][5]

1月8日 始業式[2][5]

1月10日 全闘連が「公開質問状(中教審路線・来年度教育課程・教職員5段階賃金などに関し、学校当局の見解表明を要求)」を提出。回答は文書か口頭かで学校側・全闘連間で折衝長引く[5]

1月25日 学校側「文書回答」を掲示[5]

1月29日 全闘連が「再度の公開質問状」を提出[5]

2月 一部生徒との間に、教育問題をめぐって紛争、折衝断続的に行われ、期末考査も中止された[1]

2月1日 学校側「文書回答」を掲示[5]

2月2日 40分短縮6時限授業。放課後、臨時生徒総会(全闘連要請、署名要求に基づく)は定数不足で不成立。切換えた集会で、1年生から全闘連批判が多く出る。その後、全闘連は“全教員から中教審路線に対する見解を聞きたい”と称して連日のように“団交”を要求[5]

2月10日 授業打ち切り(3年)[2]

2月12日 “一部生徒の質問に答える会(団交①)”(於・紫友会館。全教員出席に対し、参加生徒は、昼休時に30、放課後に21名)[5]

2月14日 LHR時、ガイドブック・予備調査票配布のためにHRに向う担任数名を全闘連が妨害[5]

2月15日 “団交②”(於・紫友会館。全教員出席に対し、参加生徒は、昼休時に18、放課後に11名)[5]

2月16日 「カリ改革強行に抗議の渦を」(立看)と称し、午後から全闘連2名がハンスト突入。但し、放課後の1年に対する選択講座説明会(於・図書館。生徒会主催)は予定通り行なわれる[5]

2月17日 放課後、2年に選択講座説明会(於・図書館。生徒会主催)[5]

2月27日 学力検査[5]

2月27日 学力検査終了後、校門付近で全闘連数名が下校する受験生にビラ配り[5]

2月28日 昼休時、全闘連が中庭で“高校生集会”を開く。これに合流しようとして他校生11名が校内に侵入。中庭入口で生活指導部教員が説得して退散させる[5]

3月 3月末迄に、F棟生徒会部室新設完成。また、校門西側の都交通局用地が本校用地に移管される[5](185.36m2(43,186,550円) との説あり)

3月 生徒部室完成[7][8][1]

3月 都費により鉄筋コンクリート3階建の部室が新設(紫友同窓会会報No.2によると「(プレハブの物置のあった場所に)。1階は機具置場、更衣室等、2・3階に6つの部室」)

3月 卒業式中止[9]

3月1日 「開拓」第59号発行[10]

3月1日 学校側は全闘連の破約行動を非難して“団交”継続を一たん中止[5]

3月3日 全闘連に厳重注意した上で、学校側は“団交”中止姿勢を解く[5]

3月8日 期末考査開始予定日。午前5時頃から、他校生9名と共に全闘連3名がA棟2階にバリケード構築。「中教審路線粉砕・新学習指導要領4月実施阻止・カリ改悪阻止……」等の垂れ幕をA棟4階からたらす。午前9時に「テスト延期(含み2日間)、HRで討論を起こす」の2点を条件にバリ封自主解除開始。午前9時半から各HR討論[9][5]

3月9日 HR討論続行。但し、学校側が新たに示した考査再編時間割(開始予定日を2日延期し、当初4日間であった考査日数を2日間に圧縮して行う)をハードスケジュールだとする一般生徒の不満が多く出る。校長放送で「テストに関し、生徒の意向集約を待つ」との学校側姿勢を伝える[5]

3月10日 午前10時半から生徒会中央委招集の臨時生徒総会(昼の休憩を挟んで7時間)で、ゲバ・バリ封非難・他校生導入抗議の他に、期末考査再編時間割に対する不満も表明される[5]

3月12日 HRで「明日から終業式迄を休みとし、期末考査は中止」と発表[5]

3月13日 午後1時から全闘連・一般生徒・教員の“討論集会”(於・紫友会館。教員2、生徒28名)[5]

3月15日 卒業式(男子293、女子136、計429名)。講堂で校歌斉唱中、全闘連生徒1名が正面式壇に登ろうとして制止される。卒業式は式場を各HRに切換えて挙行。24日までの間に、バリ封・卒業式妨害を含め、一連の違反行為に関し、中心となった生徒(3年の場合は卒業を延期して)本人と保護者連記の確約書を提出させる[5]

3月20日 修了式。校長が、全生徒に一連の紛争経過と学校態度を説明[5](「終業式」との記述[2]もあり)

3月20日 春季クラブ合宿始まる[5]

教職員一覧

職名 教科目 氏名 担任 校務分掌 クラブ顧問 PTA・紫友会
校長 織田富勝 紫友会理事長
教頭 社会(日本史) 石坂富司 P副会長・紫理事
教諭 国語 市毛勝雄 職員会議議長 男子バレー
牛尾博孝 1I 教務 女子バレー
金津秀一郎 生活指導・人事 社研・ラグビー 紫理事
木村博 3D 職員会議議長 写真研
鈴木由次 2B 学年主任・学年協(長) P委員
西川朝彦 3A 生活指導 女子バレー
南沢鉄郎 3I 人事委(長) P委員
吉田良夫 生活指導 文学散歩・劇研
社会 倫社 田中正彦 2I 生活指導 野球
政経 川野健二郎 総務(長) ワンダーフォーゲル P書記・紫理事
世界史 小沢正男 総務
佐藤三夫 総務・予算 女子バレー
世界史・日本史 鬼頭明成 教務 新聞研
日本史 佐々木守 1G 生活指導 新聞研 紫監事
地理 斉藤薫 3G 学年主任 剣道 P委員
高野繁 1E 予算委(長) 男子バスケット P委員
数学 青木太夫 教問検・予算 野球
飯島忠 3C 教務・人事 硬式テニス
岩瀬重雄 2A 教務 軽音研
上野礼一郎 教務
国枝久士 1F 教務・人事 男女軟式テニス
留岡亮二 2G 新教育課程(長) 将棋・バドミントン P委員・紫監事
橋本弘子 総務 卓球
山口正光 1D 生活指導 バドミントン
理科 物理 江渡明穂 2E 生活指導 電波研
斉藤茂 3B 保健 鉄道研・AUDIO
佐々木晴彦 2H 保健 女子軟式テニス
化学 住谷正夫 教問検(長) 落語研・化学研 P委員
竹野博 1C 教問検
地学 土屋龍雄 教務(長) 天文研 P委員
生物 大滝末男 総務・生活指導 生物研・水泳・スキー 紫理事
下河嗣朗 2C 教問検 生物研
保健体育 千葉芳弘 3H 生活指導 柔道
西中良夫 教務・人事 体操
藤田幸康 1B 保健 ラグビー
星寿男 生活指導 男女バスケット
三沢好章 2F 保健(長) サッカー P委員
馬上キミエ 生活指導 陸上競技
芸術 美術 大勝恵一郎 教問検 美研・将棋研
工芸 前田泰彦 生活指導
音楽 横田勇 1H 生活指導 音楽研
外国語 英語 新貢治 1A 学年主任・総務 P委員・紫理事
石川昌 生活指導 水泳
井上喜八郎 3E 教問検 開拓・写真研
大滝宗一郎 生活指導(長) 柔道・山岳 P委員
鈴木宏 3F 教務 ワンダーフォーゲル
田島敏雄 総務 陸上競技
三浦訖 教務
山名盛義 総務・人事 英語研・フォーク研
家庭 大町淑子 2D 生活指導 茶道・華道
司書 外国語(仏) 面川洽治 教務
養護 大宅三恵子 保健 茶道・華道
実習助手 田中正次 理科
講師・校医
教科 氏名
非常勤講師 漢文 寺田純子
守屋禎次
社会 政経 阿部由紀
地理 海東達也
数学 三和一雄
理科 化学 豊島正人
地学 木股三善
生物 橋本健一
芸術 書道 魚住和晃
長沼雅彦
外国語 英語 近藤浩一
時実早苗
又吉重宏
独語 布施敬二郎
校医 内科 筧正純
耳鼻咽喉科 大久保薫
眼科 村尾勉
歯科 橋本八朗
薬剤師 高木重長
事務職員関係
職名 氏名 分担 PTA・紫友会
事務長 沢田芳郎 総括 P委員・紫理事
事務主事 有賀清之助 庶務
岩崎弘 管財・物件費 紫書記
加藤直子 歳出
佐々木君子 人件費
竹内節子 私費会計・奨学金
事務主事補 小柳隆太郎 管財・歳入
成沢直子 管財・物件
司書補 長峰恵美子 図書
用務員 上原桑吉
鈴木彌太郎
吉田治男
警備員 鎌田六郎
望月秀美
助手 大久保誠二 教務
森下君子 事務

生徒在籍数

A B C D E F G H I
1年 29 29 26 29 29 29 27 29 29 256
15 16 15 16 15 16 16 16 15 140
44 45 41 45 44 45 43 45 44 396
2年 33 34 33 33 34 33 34 33 34 301
16 16 16 16 16 15 16 16 15 142
49 50 49 49 50 48 50 49 49 443
3年 33 34 31 33 31 33 32 33 33 293
15 16 15 16 15 14 16 14 15 136
48 50 46 49 46 47 48 47 48 429

芸能祭

9月27日開催

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体育祭

9月24日開催

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創作展 (第00回)

9月00日、10月00日の2日間

参加団体

創作展賞

開拓 (第59号)

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目次

  • 編集後記

受賞者

卒業アルバム

関連事項

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 創立70 周年記念誌
  2. 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 2.15 2.16 2.17 2.18 2.19 2.20 2.21 2.22 高等学校「学校要覧」昭和47年度/4・5
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 「創作」第91号:昭和47年6月30日
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「dosokai1」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  5. 5.00 5.01 5.02 5.03 5.04 5.05 5.06 5.07 5.08 5.09 5.10 5.11 5.12 5.13 5.14 5.15 5.16 5.17 5.18 5.19 5.20 5.21 5.22 5.23 5.24 5.25 5.26 5.27 5.28 5.29 5.30 5.31 5.32 5.33 5.34 5.35 5.36 5.37 5.38 5.39 5.40 5.41 5.42 5.43 5.44 5.45 5.46 5.47 5.48 5.49 5.50 5.51 5.52 5.53 5.54 5.55 5.56 5.57 60周年記念誌
  6. 6.0 6.1 6.2 「創作」第92号:昭和47年7月20日
  7. 「創作」第134号:昭和60年3月8日/(1)
  8. 紫友同窓会会報No.41_2013年(平25年)(14)
  9. 9.0 9.1 「創作」第113号:昭和56年7月20日/(4)
  10. 「開拓」No.59(昭和48 年3 月1 日発行)/ 表紙