「芸能祭」の版間の差分

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[[ファイル:Geinousai1942-1.jpg|thumb|1942年度 (昭和17年度)の芸能祭パンフレット]]
 
大正8年、本校が府立第五中として開校した同年に、紫友会の主催で「学芸会」が開かれました。昭和4年には、英語部と弁論部の合併である学芸部所属の生徒たちによって主催さ
 
大正8年、本校が府立第五中として開校した同年に、紫友会の主催で「学芸会」が開かれました。昭和4年には、英語部と弁論部の合併である学芸部所属の生徒たちによって主催さ
 
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*[[1987年度 (昭和62年度)#芸能祭|1987年度]]
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*[[1989年度 (平成元年度)#芸能祭|1989年度]]
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*[[2013年度 (平成25年度)#芸能祭|2013年度]]
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*[[2014年度 (平成26年度)#芸能祭|2014年度]]

2014年9月15日 (月) 09:32時点における最新版

1942年度 (昭和17年度)の芸能祭パンフレット

大正8年、本校が府立第五中として開校した同年に、紫友会の主催で「学芸会」が開かれました。昭和4年には、英語部と弁論部の合併である学芸部所属の生徒たちによって主催さ れるようになり、終戦直後「芸能祭」と名を変え現在に至っています。

当時の学芸会は、バイオリン、チェロなどによる名曲の演奏や、自ら英訳した「ロミオとジュリエット」の上演など充実した内容で、地域の方々の評判も大変よかったようです。 現在の芸能祭では、部活動参加のほかにオーディションを通過した一般団体の出場もあります。また、2年創作ダンスや職員によるコーラスなど、幅広い舞台が楽しめます。さらに、 運営担当の文化・放送両委員会の手で照明・音響が駆使され、まさに年々充実していると言えます。平成11 年からは文化・放送両委員会から構成される芸能祭実行委員会が設置され、また最も優秀な団体に「芸能祭大賞」が贈られるようになりました。


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