「紫友くらぶ」の版間の差分

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会報として「紫友くらぶ会報」を発行。全5号(号数は前身の「紫友ぺん」からの通算なのでNo.10からNo.14まで発行された)。コピーは紫友同窓会のホームページ上でも公開されている。
 
会報として「紫友くらぶ会報」を発行。全5号(号数は前身の「紫友ぺん」からの通算なのでNo.10からNo.14まで発行された)。コピーは紫友同窓会のホームページ上でも公開されている。
 
*第10号:1989年9月
 
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*第14号:1992年8月
 
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2016年8月27日 (土) 16:47時点における最新版

紫友くらぶ (しゆうくらぶ) は、1989年7月に紫友ぺんくらぶの文筆イメージ解消をはかるために[1]同会から改称した集まり。11年間で3回の例会と2回の講演会を開催し、5号の会報を発行したのち1999年10月10日の懇親会を最後に活動が休止し、のちに紫友さろんとして再興された。

沿革

1989年7月12日に (紫友ぺんくらぶからの通算で)第13回例会 (36名参加) にて会長が15回生の内藤裕次に交代。「紫友くらぶ」と改称、文筆イメージ解消をはかる。

1999年10月10日 ホテルセンチュリーハイアットにて懇親会を開催 (35名参加)

例会・講演

前身の紫友ぺんくらぶと同様に例会の際にはセットで講演会を開催していた。

例会・講演一覧
13 1989年7月12日 (例会のみ)
14 1990年10月25日 (総会)「五中むかしむかし」<講師・真田幸男(3・元校長)>
15 1992年5月13日 「生きている川を取り戻すために・野川を題材として」<講師・若林高子(06)>

会報「紫友くらぶ会報」

紫友くらぶ会報第10号

会報として「紫友くらぶ会報」を発行。全5号(号数は前身の「紫友ぺん」からの通算なのでNo.10からNo.14まで発行された)。コピーは紫友同窓会のホームページ上でも公開されている。

  • 第10号:1989年9月
  • 第11号:1990年10月
  • 第12号:1991年1月
  • 第13号:1992年2月
  • 第14号:1992年8月

関連事項

脚注

  1. 紫友くらぶ会報第10号で内藤祐次会長は「「紫友ぺんくらぶ」を「紫友くらぶ」と改称したのは、「ぺん」の持つ、文筆に深く関わる者の集い、というやや排他的なイメージを解消したかったからです。」と記している。