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(ページの作成:「織田富勝は第8代校長 1972年4月 新宿高校校長から本校校長に転補。 1975年3月退職。 ==関連項目== *歴代校長の一覧 {| class="wi...」) |
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+ | 昭和44年の新宿高校での学校紛争への対応には苦慮し、自分の教員としての資格を疑い、自信を失ったこともあったと回述している。 | ||
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+ | 「仲間と飲んで酔いおくれたらなかなか酔えない。先に酔った方が勝ちなんだ。残った方がふろしきで傘やカバンを身体に縛りつけてやって、家まで送って行く。奥さんに引き渡すまで責任をもつ。キビシイ友情だ。鍛えられたなあ。酒によって人生のほろにがい味を知った。30代後半に肺結核になった時、ぼくが酒代に貸していてすっかり忘れていた金を、友だちが集めてきてくれた。あの時は酒ぎらいだった女房も酒を見直したものだ。」 | ||
==関連項目== | ==関連項目== |
2018年8月26日 (日) 22:19時点における最新版
織田富勝 (おだ) は第8代校長
1972年4月 新宿高校校長から本校校長に転補。
1975年3月退職。
経歴
大阪府池田氏出身。早くから教師という職業にあこがれていた。師範学校は月謝不要というのも魅力だったようだ。妻とは学生時代に知り合ったが、母親が勉学の身で恋愛することに反対し、卒業の一年前に結婚の許しがでた。
エピソード
昭和44年の新宿高校での学校紛争への対応には苦慮し、自分の教員としての資格を疑い、自信を失ったこともあったと回述している。
酒好き
酒好きで知られており創作第91号(昭和47年6月30日発行)の取材には次のように答えている。
「徹夜で飲みながら仕事をしたもんだ。30代後半がピークで、一時間で一升ぐらい飲んだろうか。酔って失敗したこととなると、ありすぎて困るくらいだ。帽子やカバンを忘れたことは、しょっちゅうだった。そういう意味では、ぼくは、未完成の標本みたいなものだよ。」
「仲間と飲んで酔いおくれたらなかなか酔えない。先に酔った方が勝ちなんだ。残った方がふろしきで傘やカバンを身体に縛りつけてやって、家まで送って行く。奥さんに引き渡すまで責任をもつ。キビシイ友情だ。鍛えられたなあ。酒によって人生のほろにがい味を知った。30代後半に肺結核になった時、ぼくが酒代に貸していてすっかり忘れていた金を、友だちが集めてきてくれた。あの時は酒ぎらいだった女房も酒を見直したものだ。」
関連項目
前任 | 在任 | 後任 |
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井上義夫 | 清水勝太郎 |