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− | + | 6月25日 地久節、三宅龍子女史(三宅雪嶺氏夫人)来校、「母ノ愛」につき講話、また東京女子高等師範学校内田文子女史の「米国滞留中ノ観察」につきて講話あり<ref name="enkaku" /> | |
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+ | 9月1日 第3期分校舎落成、午前8時30分第2学期始業式を行う<ref name="enkaku" /> | ||
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+ | 9月13日 明治天皇の御大葬および乃木将軍の殉死したる記念すべき日なるを以て式を挙ぐ、午後1時より文学士土田誠一氏の「精神は通ふ」および諸橋高師教授の「乃木将軍について及び支那雑感」の講話あり<ref name="enkaku" /> | ||
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+ | 10月28〜31日 創作展覧会を開催す、午前8時「皇太子殿下の海外御見学につきて」という題にて外務省書記官澤田節蔵氏の講話あり/創作展覧会開期中第1回礼儀デーを行う<ref name="enkaku" /> | ||
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+ | 10月30日 午後1時半より本校校庭に於て伊藤校長外遊送別会を開く、生徒の父兄母姉の来会も多く職員生徒共会衆1200余名、頗る盛大を極めたり<ref name="enkaku" /> | ||
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+ | 11月11日 伊藤校長欧米視察の途に出発の日なり、生徒一同東京駅前に集合、午前7時20分、万歳呼号の内に勇ましく東京駅出発、なお生徒の中多くは横浜の第四埠頭に於て、つきせぬ別れを惜しむ<ref name="enkaku" /><ref name="kinensi70" /><ref name="sousaku61" />。(帰着は、翌年12月18日) | ||
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+ | 1月9日 始業式<ref name="enkaku" /> | ||
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+ | 2月11日 午前9時講堂にて紀元節拝賀式、第4期分校舎建築工事に着手<ref name="enkaku" /> | ||
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+ | 2月13日 校庭にて天体観望が催された | ||
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+ | 3月10日 陸軍記念日、午前10時半より「現代ノ国防計画」と題する陸軍大佐廣瀬壽助氏の講話あり<ref name="enkaku" /> | ||
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+ | 3月23日 「[[開拓]]」第3号発行 | ||
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+ | 3月25日 春季休業始まる<ref name="enkaku" /> | ||
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3月 [[栗山津禰]]が国語科漢文教諭として着任。これは、五中だけでなく全国の中学校(男子校)で初めての女性教諭であった。 | 3月 [[栗山津禰]]が国語科漢文教諭として着任。これは、五中だけでなく全国の中学校(男子校)で初めての女性教諭であった。 | ||
==創作展覧会== | ==創作展覧会== | ||
+ | 3階の講堂で開催された。 | ||
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+ | ==開拓 (第3号)== | ||
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− | == | + | ===目次=== |
− | + | *表紙(図案) | |
+ | *薬売る女(絵画) | ||
+ | *写真 | ||
+ | 特別寄書 | ||
+ | *輝ける世界の開拓と新しき生命の創作 | ||
+ | *寒稽古 | ||
+ | 研究 | ||
+ | *動物の本能に就て | ||
+ | *箱根の動物 | ||
+ | *箱根の外輪山に就て | ||
+ | *箱根山の交通 | ||
+ | *大町・木崎湖及びその附近に就て | ||
+ | *長野市と松本市 | ||
+ | *中禅寺湖と湯の湖 | ||
+ | *銚子町について | ||
+ | 文苑 | ||
+ | *怨みの怒濤(小説) | ||
+ | *都に憬れて(小説) | ||
+ | *過ぎた日の記憶(小説) | ||
+ | *少年の後悔(小説) | ||
+ | *思ひ出三篇 | ||
+ | *休暇日記の中より | ||
+ | *虫取り | ||
+ | *夏のある日 | ||
+ | *椿(歌) | ||
+ | *亡き友を憶ふ(歌) | ||
+ | *星野鑛泉にて(歌) | ||
+ | *故郷に帰りて(歌) | ||
+ | *春(俳句) | ||
+ | *秋深し(俳句) | ||
+ | *眞夏の夕暮 | ||
+ | *青年と元気、他三篇 | ||
+ | *北窓より、その他 | ||
+ | *朝 | ||
+ | *冬枯れ | ||
+ | *我が家 | ||
+ | *留守番 | ||
+ | *破れたる蜘蛛の巣(詩) | ||
+ | *ベートーフェンに寄す(詩) | ||
+ | 記事 | ||
+ | *学校記事 | ||
+ | *学校日誌抄 | ||
+ | *紫友会日誌抄 | ||
+ | *紫友会会計報告 | ||
+ | *夏期転地修養隊記事 | ||
+ | *修学旅行記事 | ||
+ | *第一回創作展覧会記事 | ||
+ | *伊藤先生送別会記事 | ||
+ | *第三回記念運動会記事 | ||
+ | 雑録 | ||
+ | *伊藤先生からのお便りの中より | ||
+ | *Letters From American Children. | ||
==関連項目== | ==関連項目== | ||
*[[1920年度 (大正9年度)]] | *[[1920年度 (大正9年度)]] | ||
*[[1922年度 (大正11年度)]] | *[[1922年度 (大正11年度)]] | ||
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+ | ==脚注== | ||
+ | <references /> |
2018年8月26日 (日) 16:29時点における最新版
できごと
この年、制服を背広に決定したことが東京百年史[1]に記載されている。背広というのが、当時は珍しかったので、東京百年史にこういう記載がされたのかもしれない。
4月10日 校舎建築遅れしためこの日始業式を行う[2][3]
5月4日 午後4時より本校講堂上棟式を行う[2][3]。この講堂は、初期校舎棟2階に設けられたもので、昭和5年築ののちに戦災に遭ったものとは異なる。
5月5日 職員生徒全員武州飯能に遠足を行う[2]
5月23日 紫友会総会にて、財団法人紫友会設立の件可決[2]
5月24日 府立第一高等女学校市川源三氏の「欧米漫遊雑感」と題する講話あり[2]
5月27日 海軍記念日、海軍大佐森雷蔵氏来校、「海上交通の価値」と題する講話あり[2]
6月25日 地久節、三宅龍子女史(三宅雪嶺氏夫人)来校、「母ノ愛」につき講話、また東京女子高等師範学校内田文子女史の「米国滞留中ノ観察」につきて講話あり[2]
6月27日〜7月10日 第1学期復習考査週を行う[2]
6月29日 文部大臣より財団法人紫友会設立の許可[2][3][4]
7月9日 財団法人紫友会より運動場1338坪(価格2万5000円)の寄付を受ける[2][5][6][7]
7月17日 保証人職員懇話会[2]
7月20日 午後7時校庭にて終業式を行い、夏期転地修養隊信州志賀村へ出発(1年生:~29日、2年生:~31日、3年生:~8/1)[2]。この年の転地修養隊の様子がアルバムとして残されている。転地修養隊のページを参照のこと。
9月1日 第3期分校舎落成、午前8時30分第2学期始業式を行う[2]
9月2日 皇太子殿下御外遊を終えせられ御入京につき、生徒総代100名および職員一同午前9時30分、内幸町に於て歓迎し奉る[2]
9月13日 明治天皇の御大葬および乃木将軍の殉死したる記念すべき日なるを以て式を挙ぐ、午後1時より文学士土田誠一氏の「精神は通ふ」および諸橋高師教授の「乃木将軍について及び支那雑感」の講話あり[2]
10月2日 午前8時30分より保証人職員懇話会あり[2]
10月4〜22日 伊藤校長午後5時東京駅発、満洲奉天南満洲学堂に開かるる全国中学校長会議に出席す[2][3]
10月6〜8日 1、2、3年各銚子、日光、箱根修善寺各方面に修学旅行を行う、但し1年は7・8日の2日のみ[2]
10月18〜20日 第2回礼儀デーを行う[2]
10月26日 昨25日皇太子殿下摂政御就任に付、本日第4時授業後職員生徒講堂に会し、陛下の御不例の御平癒を祈り、併せて摂政の意義につき訓話、この日より28日まで災害防止会主催の安全デー、本校もこれに参加す[2]
10月28〜31日 創作展覧会を開催す、午前8時「皇太子殿下の海外御見学につきて」という題にて外務省書記官澤田節蔵氏の講話あり/創作展覧会開期中第1回礼儀デーを行う[2]
10月29日 鉄道省参事鶴見祐輔氏の「世界の人としての心」と題する講話あり[2]
10月30日 午後1時半より本校校庭に於て伊藤校長外遊送別会を開く、生徒の父兄母姉の来会も多く職員生徒共会衆1200余名、頗る盛大を極めたり[2]
10月31日 天長節祝日、午前6時宮城前に於て拝賀式を行う/創作展覧会最後の日なれば公開す、入場者頗る多し[2]
11月3日 開校記念式を行う、午前9時より運動会に移り、午後1時半迅速なる行動によりて、予定の「プログラム」を終えたり[2]
11月11日 伊藤校長欧米視察の途に出発の日なり、生徒一同東京駅前に集合、午前7時20分、万歳呼号の内に勇ましく東京駅出発、なお生徒の中多くは横浜の第四埠頭に於て、つきせぬ別れを惜しむ[2][3][6]。(帰着は、翌年12月18日)
11月28〜30日 第3回礼儀デーを行う[2]
12月5〜17日 第2学期復習考査週[2]
12月19〜24日 始業前15分間国民体道を行う[2]
12月24日 午前9時講堂に於て、第2学期終業式を行う、式後、創作展覧会審査の結果を発表し、各教〓分担して、受賞品の批評を行い正午解散[2]
1月1日 午前6時宮城前に於て拝賀式[2]
1月9日 始業式[2]
1月20日 仏国国使「ジヨツフル」元帥入京、職員10名生徒総代40名、午前11時内幸町に於て歓迎[2]
2月11日 午前9時講堂にて紀元節拝賀式、第4期分校舎建築工事に着手[2]
2月13日 校庭にて天体観望が催された
3月10日 陸軍記念日、午前10時半より「現代ノ国防計画」と題する陸軍大佐廣瀬壽助氏の講話あり[2]
3月22日 午前8時より入学資格試験を行う[2]
3月23日 「開拓」第3号発行
3月23日 入学資格試験結果発表[2]
3月25日 春季休業始まる[2]
3月27, 29, 30日 午前8時より第一高等学校別館に於て入学考査[2][6]
3月31日 午後4時入学考査合格者発表[2]
3月 栗山津禰が国語科漢文教諭として着任。これは、五中だけでなく全国の中学校(男子校)で初めての女性教諭であった。
創作展覧会
3階の講堂で開催された。
開拓 (第3号)
目次
- 表紙(図案)
- 薬売る女(絵画)
- 写真
特別寄書
- 輝ける世界の開拓と新しき生命の創作
- 寒稽古
研究
- 動物の本能に就て
- 箱根の動物
- 箱根の外輪山に就て
- 箱根山の交通
- 大町・木崎湖及びその附近に就て
- 長野市と松本市
- 中禅寺湖と湯の湖
- 銚子町について
文苑
- 怨みの怒濤(小説)
- 都に憬れて(小説)
- 過ぎた日の記憶(小説)
- 少年の後悔(小説)
- 思ひ出三篇
- 休暇日記の中より
- 虫取り
- 夏のある日
- 椿(歌)
- 亡き友を憶ふ(歌)
- 星野鑛泉にて(歌)
- 故郷に帰りて(歌)
- 春(俳句)
- 秋深し(俳句)
- 眞夏の夕暮
- 青年と元気、他三篇
- 北窓より、その他
- 朝
- 冬枯れ
- 我が家
- 留守番
- 破れたる蜘蛛の巣(詩)
- ベートーフェンに寄す(詩)
記事
- 学校記事
- 学校日誌抄
- 紫友会日誌抄
- 紫友会会計報告
- 夏期転地修養隊記事
- 修学旅行記事
- 第一回創作展覧会記事
- 伊藤先生送別会記事
- 第三回記念運動会記事
雑録
- 伊藤先生からのお便りの中より
- Letters From American Children.
関連項目
脚注
- ↑ 東京百年史編集委員会編『東京百年史』東京都, 1973年, 別巻 年表・索引
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 2.15 2.16 2.17 2.18 2.19 2.20 2.21 2.22 2.23 2.24 2.25 2.26 2.27 2.28 2.29 2.30 2.31 2.32 2.33 2.34 2.35 2.36 2.37 2.38 2.39 2.40 2.41 東京府立第五中学校・学校沿革誌
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 創立70周年記念誌
- ↑ 「創作」第90号:昭和47年3月15日
- ↑ 「創作」体育館落成記念号外:昭和36年10月2日
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 「創作」第61号:昭和39年9月29日
- ↑ 「創作」第134号:昭和60年3月8日