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夏季休業中に水泳講習、クラブ合宿開催<ref name="yoran47">高等学校「学校要覧」昭和47年度/4・5</ref> | 夏季休業中に水泳講習、クラブ合宿開催<ref name="yoran47">高等学校「学校要覧」昭和47年度/4・5</ref> | ||
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4月1日 石坂富司教頭着任<ref name="sosaku91">「創作」第91号:昭和47年6月30日</ref><ref name="dosokai1" /> | 4月1日 石坂富司教頭着任<ref name="sosaku91">「創作」第91号:昭和47年6月30日</ref><ref name="dosokai1" /> | ||
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3月 3月末迄に、F棟生徒会部室新設完成。また、校門西側の都交通局用地が本校用地に移管される<ref name="60shunen" />(185.36m<sup>2</sup>(43,186,550円) との説あり) | 3月 3月末迄に、F棟生徒会部室新設完成。また、校門西側の都交通局用地が本校用地に移管される<ref name="60shunen" />(185.36m<sup>2</sup>(43,186,550円) との説あり) | ||
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3月 都費により鉄筋コンクリート3階建の部室が新設(紫友同窓会会報No.2によると「(プレハブの物置のあった場所に)。1階は機具置場、更衣室等、2・3階に6つの部室」) | 3月 都費により鉄筋コンクリート3階建の部室が新設(紫友同窓会会報No.2によると「(プレハブの物置のあった場所に)。1階は機具置場、更衣室等、2・3階に6つの部室」) | ||
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===創作展賞=== | ===創作展賞=== | ||
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2018年8月25日 (土) 11:43時点における最新版
できごと
この年、紫友同窓会会報の発行を開始。会報の題字は、旧職員の幸田彩果先生の筆による[1]
夏季休業中に水泳講習、クラブ合宿開催[2]
4月1日 織田富勝校長着任(前任:新宿高校校長)[4][5][1][3](「冨勝」との説あり)
4月10日 入学式(男子256、女子140、計396名)[5][2]
4月18日〜4月20日 結核検診[2]
4月22日 K戦線が、生徒保護者への電話連絡について2年某クラス担任を非難する壁新聞を掲示。放課後、該当クラスでの討論会の中で担任が説明するも、K戦線は非難を継続[5]
5月1日 芸術鑑賞会(於・武蔵野音大ベートーベンホール)[5](「音楽鑑賞会」との説[2]あり)
5月1日 芸術鑑賞会終了後、生活指導部教員・該当クラス担任等とK戦線代表が話し合い[5]
5月4日 開校記念日[2]
5月8日 学校側が事実認識にくい違いのあったことを認めた「声明文」を掲示[5]
5月15日 沖縄本土復帰の日。昼休時、K戦線が集会を開き「授業をボイコットして、永続的討論へ」を呼びかけるも、午後の授業も平静に行なわれる(但し、午後は出欠席をとらない形式)[5]
5月16日 体育祭開始[3]
5月17日 春の遠足。1年は富士五湖めぐり。2年は大島(船中1泊)。3年は修学旅行を間近かに控え、遠足なしで授業[2][3][5]
5月18日 生徒会費値上げ承認[3]
5月20日 PTA総会[2]
5月25日 午後、定例生徒総会(46年度決算・47年度予算案、および2000円から2200円への生徒会費値上げを夫々承認)[5]
5月28日〜6月1日 3年生が男鹿コース、中尊寺コース、陸中コース(5/29~6/2?)の3コースに分かれ4泊5日の東北への修学旅行[5][3]
5月29日〜5月31日 1・2年、中間考査[2][5](1974年3月卒業アルバムには「5月28日~」とあり)
6月17日 放課後、文化委員会主催の映画会と講演会(於・講堂。「水俣」)[5]
6月23日 昭和47年度紫友同窓会委員会が、母校の紫友会館2階会議室で開かれた。午後6時20分から8時5分まで(通知者303名中、福島会長以下33名の委員が参加)[4]
6月30日 「創作」第91号発行[3]
6月30日 地下鉄6号線が巣鴨から日比谷まで開通し、紫友会館に隣接して千石駅が開設される[6][4][5]
7月12日〜7月13日 夏季クラブ合宿参加希望者検診[5]
7月20日 「創作」第92号発行[6]
7月20日 夏季クラブ合宿参加希望者検診[5]
8月12日〜8月19日 午後1時~3時、本校プールで水泳教室(対象、1・2年で水泳不得意者)[5]
9月 コンクリート造り3階建ての部室建築を計画[6]
9月1日 始業式。生徒用下駄箱撤去。校舎内下靴着用解禁(但し、講堂・体育館・保健室及びその他若干の特別教室を除く)[2][5]
10月11日 昭和48年度からのカリ改訂後も、本校特有の特別講座は存続させることを職員会議で確認[5]
10月18日 新全闘連(K戦線・ベ平連らの生徒が連合。10・14に結成)が「公開質問状(学校配布のプリント“修学旅行のねらい”中の辞句等について、13項目の質問)」を提出[5]
10月21日 学校側「回答」掲示[5]
10月25日 LHR時“修学旅行に関して生徒の質問に答える会”(於・講堂。全教員、生徒約100名)[5]
10月26日〜10月30日 2年生が4泊5日の瀬戸内・山陰への修学旅行(約半数は10/27~10/31)[3][5]
12月25日〜12月30日 スキー教室へ夜行で出発(於・妙高高原、5泊6日)[2][5]
1月10日 全闘連が「公開質問状(中教審路線・来年度教育課程・教職員5段階賃金などに関し、学校当局の見解表明を要求)」を提出。回答は文書か口頭かで学校側・全闘連間で折衝長引く[5]
1月25日 学校側「文書回答」を掲示[5]
1月29日 全闘連が「再度の公開質問状」を提出[5]
2月 一部生徒との間に、教育問題をめぐって紛争、折衝断続的に行われ、期末考査も中止された[1]
2月1日 学校側「文書回答」を掲示[5]
2月2日 40分短縮6時限授業。放課後、臨時生徒総会(全闘連要請、署名要求に基づく)は定数不足で不成立。切換えた集会で、1年生から全闘連批判が多く出る。その後、全闘連は“全教員から中教審路線に対する見解を聞きたい”と称して連日のように“団交”を要求[5]
2月10日 授業打ち切り(3年)[2]
2月12日 “一部生徒の質問に答える会(団交①)”(於・紫友会館。全教員出席に対し、参加生徒は、昼休時に30、放課後に21名)[5]
2月14日 LHR時、ガイドブック・予備調査票配布のためにHRに向う担任数名を全闘連が妨害[5]
2月15日 “団交②”(於・紫友会館。全教員出席に対し、参加生徒は、昼休時に18、放課後に11名)[5]
2月16日 「カリ改革強行に抗議の渦を」(立看)と称し、午後から全闘連2名がハンスト突入。但し、放課後の1年に対する選択講座説明会(於・図書館。生徒会主催)は予定通り行なわれる[5]
2月17日 放課後、2年に選択講座説明会(於・図書館。生徒会主催)[5]
2月27日 学力検査[5]
2月27日 学力検査終了後、校門付近で全闘連数名が下校する受験生にビラ配り[5]
2月28日 昼休時、全闘連が中庭で“高校生集会”を開く。これに合流しようとして他校生11名が校内に侵入。中庭入口で生活指導部教員が説得して退散させる[5]
3月 3月末迄に、F棟生徒会部室新設完成。また、校門西側の都交通局用地が本校用地に移管される[5](185.36m2(43,186,550円) との説あり)
3月 都費により鉄筋コンクリート3階建の部室が新設(紫友同窓会会報No.2によると「(プレハブの物置のあった場所に)。1階は機具置場、更衣室等、2・3階に6つの部室」)
3月 卒業式中止[9]
3月1日 「開拓」第59号発行[10]
3月1日 学校側は全闘連の破約行動を非難して“団交”継続を一たん中止[5]
3月3日 全闘連に厳重注意した上で、学校側は“団交”中止姿勢を解く[5]
3月8日 期末考査開始予定日。午前5時頃から、他校生9名と共に全闘連3名がA棟2階にバリケード構築。「中教審路線粉砕・新学習指導要領4月実施阻止・カリ改悪阻止……」等の垂れ幕をA棟4階からたらす。午前9時に「テスト延期(含み2日間)、HRで討論を起こす」の2点を条件にバリ封自主解除開始。午前9時半から各HR討論[9][5]
3月9日 HR討論続行。但し、学校側が新たに示した考査再編時間割(開始予定日を2日延期し、当初4日間であった考査日数を2日間に圧縮して行う)をハードスケジュールだとする一般生徒の不満が多く出る。校長放送で「テストに関し、生徒の意向集約を待つ」との学校側姿勢を伝える[5]
3月10日 午前10時半から生徒会中央委招集の臨時生徒総会(昼の休憩を挟んで7時間)で、ゲバ・バリ封非難・他校生導入抗議の他に、期末考査再編時間割に対する不満も表明される[5]
3月12日 HRで「明日から終業式迄を休みとし、期末考査は中止」と発表[5]
3月13日 午後1時から全闘連・一般生徒・教員の“討論集会”(於・紫友会館。教員2、生徒28名)[5]
3月15日 卒業式(男子293、女子136、計429名)。講堂で校歌斉唱中、全闘連生徒1名が正面式壇に登ろうとして制止される。卒業式は式場を各HRに切換えて挙行。24日までの間に、バリ封・卒業式妨害を含め、一連の違反行為に関し、中心となった生徒(3年の場合は卒業を延期して)本人と保護者連記の確約書を提出させる[5]
3月20日 修了式。校長が、全生徒に一連の紛争経過と学校態度を説明[5](「終業式」との記述[2]もあり)
3月20日 春季クラブ合宿始まる[5]
教職員一覧
職名 | 教科目 | 氏名 | 担任 | 校務分掌 | クラブ顧問 | PTA・紫友会 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
校長 | 織田富勝 | 紫友会理事長 | |||||
教頭 | 社会(日本史) | 石坂富司 | P副会長・紫理事 | ||||
教諭 | 国語 | 市毛勝雄 | 職員会議議長 | 男子バレー | |||
牛尾博孝 | 1I | 教務 | 女子バレー | ||||
金津秀一郎 | 生活指導・人事 | 社研・ラグビー | 紫理事 | ||||
木村博 | 3D | 職員会議議長 | 写真研 | ||||
鈴木由次 | 2B | 学年主任・学年協(長) | P委員 | ||||
西川朝彦 | 3A | 生活指導 | 女子バレー | ||||
南沢鉄郎 | 3I | 人事委(長) | P委員 | ||||
吉田良夫 | 生活指導 | 文学散歩・劇研 | |||||
社会 | 倫社 | 田中正彦 | 2I | 生活指導 | 野球 | ||
政経 | 川野健二郎 | 総務(長) | ワンダーフォーゲル | P書記・紫理事 | |||
世界史 | 小沢正男 | 総務 | |||||
佐藤三夫 | 総務・予算 | 女子バレー | |||||
世界史・日本史 | 鬼頭明成 | 教務 | 新聞研 | ||||
日本史 | 佐々木守 | 1G | 生活指導 | 新聞研 | 紫監事 | ||
地理 | 斉藤薫 | 3G | 学年主任 | 剣道 | P委員 | ||
高野繁 | 1E | 予算委(長) | 男子バスケット | P委員 | |||
数学 | 青木太夫 | 教問検・予算 | 野球 | ||||
飯島忠 | 3C | 教務・人事 | 硬式テニス | ||||
岩瀬重雄 | 2A | 教務 | 軽音研 | ||||
上野礼一郎 | 教務 | ||||||
国枝久士 | 1F | 教務・人事 | 男女軟式テニス | ||||
留岡亮二 | 2G | 新教育課程(長) | 将棋・バドミントン | P委員・紫監事 | |||
橋本弘子 | 総務 | 卓球 | |||||
山口正光 | 1D | 生活指導 | バドミントン | ||||
理科 | 物理 | 江渡明穂 | 2E | 生活指導 | 電波研 | ||
斉藤茂 | 3B | 保健 | 鉄道研・AUDIO | ||||
佐々木晴彦 | 2H | 保健 | 女子軟式テニス | ||||
化学 | 住谷正夫 | 教問検(長) | 落語研・化学研 | P委員 | |||
竹野博 | 1C | 教問検 | |||||
地学 | 土屋龍雄 | 教務(長) | 天文研 | P委員 | |||
生物 | 大滝末男 | 総務・生活指導 | 生物研・水泳・スキー | 紫理事 | |||
下河嗣朗 | 2C | 教問検 | 生物研 | ||||
保健体育 | 千葉芳弘 | 3H | 生活指導 | 柔道 | |||
西中良夫 | 教務・人事 | 体操 | |||||
藤田幸康 | 1B | 保健 | ラグビー | ||||
星寿男 | 生活指導 | 男女バスケット | |||||
三沢好章 | 2F | 保健(長) | サッカー | P委員 | |||
馬上キミエ | 生活指導 | 陸上競技 | |||||
芸術 | 美術 | 大勝恵一郎 | 教問検 | 美研・将棋研 | |||
工芸 | 前田泰彦 | 生活指導 | |||||
音楽 | 横田勇 | 1H | 生活指導 | 音楽研 | |||
外国語 | 英語 | 新貢治 | 1A | 学年主任・総務 | P委員・紫理事 | ||
石川昌 | 生活指導 | 水泳 | |||||
井上喜八郎 | 3E | 教問検 | 開拓・写真研 | ||||
大滝宗一郎 | 生活指導(長) | 柔道・山岳 | P委員 | ||||
鈴木宏 | 3F | 教務 | ワンダーフォーゲル | ||||
田島敏雄 | 総務 | 陸上競技 | |||||
三浦訖 | 教務 | ||||||
山名盛義 | 総務・人事 | 英語研・フォーク研 | |||||
家庭 | 大町淑子 | 2D | 生活指導 | 茶道・華道 | |||
司書 | 外国語(仏) | 面川洽治 | 教務 | ||||
養護 | 大宅三恵子 | 保健 | 茶道・華道 | ||||
実習助手 | 田中正次 | 理科 |
教科 | 氏名 | ||
---|---|---|---|
非常勤講師 | 漢文 | 寺田純子 | |
守屋禎次 | |||
社会 | 政経 | 阿部由紀 | |
地理 | 海東達也 | ||
数学 | 三和一雄 | ||
理科 | 化学 | 豊島正人 | |
地学 | 木股三善 | ||
生物 | 橋本健一 | ||
芸術 | 書道 | 魚住和晃 | |
長沼雅彦 | |||
外国語 | 英語 | 近藤浩一 | |
時実早苗 | |||
又吉重宏 | |||
独語 | 布施敬二郎 | ||
校医 | 内科 | 筧正純 | |
耳鼻咽喉科 | 大久保薫 | ||
眼科 | 村尾勉 | ||
歯科 | 橋本八朗 | ||
薬剤師 | 高木重長 |
職名 | 氏名 | 分担 | PTA・紫友会 |
---|---|---|---|
事務長 | 沢田芳郎 | 総括 | P委員・紫理事 |
事務主事 | 有賀清之助 | 庶務 | |
岩崎弘 | 管財・物件費 | 紫書記 | |
加藤直子 | 歳出 | ||
佐々木君子 | 人件費 | ||
竹内節子 | 私費会計・奨学金 | ||
事務主事補 | 小柳隆太郎 | 管財・歳入 | |
成沢直子 | 管財・物件 | ||
司書補 | 長峰恵美子 | 図書 | |
用務員 | 上原桑吉 | ||
鈴木彌太郎 | |||
吉田治男 | |||
警備員 | 鎌田六郎 | ||
望月秀美 | |||
助手 | 大久保誠二 | 教務 | |
森下君子 | 事務 |
生徒在籍数
組 | A | B | C | D | E | F | G | H | I | 計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1年 | 男 | 29 | 29 | 26 | 29 | 29 | 29 | 27 | 29 | 29 | 256 |
女 | 15 | 16 | 15 | 16 | 15 | 16 | 16 | 16 | 15 | 140 | |
計 | 44 | 45 | 41 | 45 | 44 | 45 | 43 | 45 | 44 | 396 | |
2年 | 男 | 33 | 34 | 33 | 33 | 34 | 33 | 34 | 33 | 34 | 301 |
女 | 16 | 16 | 16 | 16 | 16 | 15 | 16 | 16 | 15 | 142 | |
計 | 49 | 50 | 49 | 49 | 50 | 48 | 50 | 49 | 49 | 443 | |
3年 | 男 | 33 | 34 | 31 | 33 | 31 | 33 | 32 | 33 | 33 | 293 |
女 | 15 | 16 | 15 | 16 | 15 | 14 | 16 | 14 | 15 | 136 | |
計 | 48 | 50 | 46 | 49 | 46 | 47 | 48 | 47 | 48 | 429 |
芸能祭
9月27日開催
体育祭
9月24日開催
創作展 (第00回)
9月00日、10月00日の2日間
参加団体
創作展賞
開拓 (第59号)
目次
- 編集後記
受賞者
卒業アルバム
関連事項
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 創立70 周年記念誌
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 2.15 2.16 2.17 2.18 2.19 2.20 2.21 2.22 高等学校「学校要覧」昭和47年度/4・5
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 「創作」第91号:昭和47年6月30日
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。「dosokai1
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ↑ 5.00 5.01 5.02 5.03 5.04 5.05 5.06 5.07 5.08 5.09 5.10 5.11 5.12 5.13 5.14 5.15 5.16 5.17 5.18 5.19 5.20 5.21 5.22 5.23 5.24 5.25 5.26 5.27 5.28 5.29 5.30 5.31 5.32 5.33 5.34 5.35 5.36 5.37 5.38 5.39 5.40 5.41 5.42 5.43 5.44 5.45 5.46 5.47 5.48 5.49 5.50 5.51 5.52 5.53 5.54 5.55 5.56 5.57 60周年記念誌
- ↑ 6.0 6.1 6.2 「創作」第92号:昭和47年7月20日
- ↑ 「創作」第134号:昭和60年3月8日/(1)
- ↑ 紫友同窓会会報No.41_2013年(平25年)(14)
- ↑ 9.0 9.1 「創作」第113号:昭和56年7月20日/(4)
- ↑ 「開拓」No.59(昭和48 年3 月1 日発行)/ 表紙