「1947年度 (昭和22年度)」の版間の差分

提供:五中・小石川デジタルアーカイブ
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本校は東京都立第五新制高等学校となる。なお旧制中学校から新制高等学校への移行にともない東京都立第五新制高等学校併設中学校を設置し旧制中学校2年生および3年生は併設中学校の2年生、3年生となった。
 
本校は東京都立第五新制高等学校となる。なお旧制中学校から新制高等学校への移行にともない東京都立第五新制高等学校併設中学校を設置し旧制中学校2年生および3年生は併設中学校の2年生、3年生となった。
  
校舎復興などの支援を目的とした保護者会が鈴木峯右衛門を会長として発足した(のちの[[PTA]])。
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6月 校舎復興などの支援を目的とした保護者会が鈴木峯右衛門を会長として発足した(のちの[[PTA]])。
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9月 蹴球部が東京選手権で優勝<ref>「五高新聞」NO.4:昭和23年10月2日</ref>
  
 
クラス会:一四回卒D組紫鼎会(昭和7年入学、昭和12年に卒業)、第1回の会合を開催<ref>紫友同窓会会報No.31</ref>
 
クラス会:一四回卒D組紫鼎会(昭和7年入学、昭和12年に卒業)、第1回の会合を開催<ref>紫友同窓会会報No.31</ref>
 
蹴球部が東京選手権で優勝<ref>「五高新聞」NO.4:昭和23年10月2日</ref>
 
  
 
五中蹴球部、戦後第1回全国大会に代表権を取得。全国大会出場<ref>紫友同窓会会報No.5</ref>
 
五中蹴球部、戦後第1回全国大会に代表権を取得。全国大会出場<ref>紫友同窓会会報No.5</ref>

2018年3月17日 (土) 15:46時点における版

できごと

6・3・3制へ移行。新制中学校発足に伴い、1年生は募集せず。

本校は東京都立第五新制高等学校となる。なお旧制中学校から新制高等学校への移行にともない東京都立第五新制高等学校併設中学校を設置し旧制中学校2年生および3年生は併設中学校の2年生、3年生となった。

6月 校舎復興などの支援を目的とした保護者会が鈴木峯右衛門を会長として発足した(のちのPTA)。

9月 蹴球部が東京選手権で優勝[1]

クラス会:一四回卒D組紫鼎会(昭和7年入学、昭和12年に卒業)、第1回の会合を開催[2]

五中蹴球部、戦後第1回全国大会に代表権を取得。全国大会出場[3]

芸能祭

7月4日、5日開催

女子高等師範学校の講堂にて開催している。パンフレットにはまだ「都立五中」と表記している

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関連項目

  1. 「五高新聞」NO.4:昭和23年10月2日
  2. 紫友同窓会会報No.31
  3. 紫友同窓会会報No.5