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+ | 2月2日〜2月3日 入管闘要請の、署名要求に基づく臨時生徒総会は、両日とも定数不足で不成立<ref name="60shunen" /> | ||
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+ | 2月4日 第2校時、入管闘生徒8名が“ハンスト支持”を呼号して校舎内デモ強行。授業妨害を阻止しようとする数名の教員に討論を強要しこづく。以後、教員に対する同様な事件が2度発生<ref name="60shunen" /> | ||
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+ | 2月10日 授業打ち切り(3年)<ref name="youran45" /> | ||
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+ | 2月13日 SHR時に、学校側はプリント「全生徒諸君へ」を配布し、入管闘生徒が要求する新講座を不認可宣言。放課後、入管闘主催の“劉君招待懇談会”(於・紫友会館。生徒40名、オブザーバーとして教員5名)<ref name="60shunen" /> | ||
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+ | 2月18日 放課後“団交”(於・講堂。教員19、生徒40名)<ref name="60shunen" /> | ||
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+ | 2月23日 学力検査<ref name="60shunen" /> | ||
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+ | 2月23日 学力検査終了後、校門警備を破り、入管闘生徒数名が下校する受験生にビラを配る<ref name="60shunen" /> | ||
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+ | 2月24日 一部生徒による一連の暴力的行為・違反行為に対し、学校当局が警告。全校生徒にもプリントを配布し、事実説明と学校側態度を示す<ref name="60shunen" /> | ||
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+ | 2月25日 第3校時、入管闘生徒2名が放送室を占拠し数分間“劉君に応ぜずして新カリを認めるな”と放送。一般生徒多数が放送室周辺に集まり暴挙を避難。学校側も違反行為を警告し電源を切る。昼休時、入管闘が武装校内デモ。放課後“団交”(於・紫友会館。教員18、生徒20名)<ref name="60shunen" /> | ||
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+ | 2月26日 第5校時、再度8分間放送ジャック<ref name="60shunen" /> | ||
3月 期末考査にバリケード闘争起り考査中止 | 3月 期末考査にバリケード闘争起り考査中止 | ||
− | + | 3月 C棟の増築普通4教室が完成<ref name="70shunen">創立70 周年記念誌</ref><ref name="dosokai_1">紫友同窓会会報No.1_1973年(昭48年)(3)</ref><ref>「創作」第134号:昭和60年3月8日/(1)</ref> | |
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+ | 3月 創立50周年記念事業として講堂内外の修復が完了。講堂下1階の一部は定時制給食用食堂として改造<ref name="dosokai_1" /> この工事によって講堂2階部分が傾斜床から水平床に変更になったと思われる。 | ||
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+ | 3月1日 「開拓」第57号発行 | ||
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+ | 3月6日〜3月10日 学期末考査<ref name="youran45" /> (2日目で中止) | ||
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+ | 3月7日 夕方から入管闘生徒4名が他校生12名とA棟2階の大職を中心にバリケード構築開始、期末テストが2日目で中止<ref name="60shunen" /><ref name="sosaku90" /><ref name="70shunen" /><ref name="sosaku113" /> | ||
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+ | 3月8日 早朝に全教員集合。警察力を極力避けて、自主解除に全力をあげることを確認。始業時までに教員の手で大職以外のバリケードを解除。登校した一般生徒にHRで担任が期末考査延期を知らせるとともに封鎖経過を説明。その後、HR討論。他方、引続き教員がバリ実行生徒(バリ実行委と自称)にバリ封解除を説得するも応ぜず。夕方、職員の手で大職のバリ封鎖解除を試みるも抵抗が激しく不成功<ref name="60shunen" /> | ||
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+ | 3月9日 朝から一般生徒はHRなどで自主討論。HR或は生徒有志による「バリ封解除要求」の立看が林立。午後、生徒会中央委員会が「バリ封自主解除希望書」をバリ実行委に手交。<ref name="60shunen" /> | ||
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+ | 3月10日 正午からバリ封内に百名程度の一般生徒が入り“討論会”。午後3時、バリ実行委が自主解除を宣言し、封鎖を解き始める<ref name="60shunen" /><ref name="sosaku90" /> | ||
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+ | 3月13日 臨時生徒総会で期末考査中止要請を採決。学校側は、期末考査中止を決定。その後、“団交”を2度開くも、いずれも参加生徒は10名程度。なお、学校当局は、封鎖に中心的役割を演じた生徒とその保護者に対して連名の確約書を提出させる<ref name="60shunen" /> | ||
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+ | 3月20日 修了式。1・2年の通知表は新学期に手交することとする<ref name="60shunen" /> (高等学校「学校要覧」昭和45年度/2・3の予定には「終業式」とあり) | ||
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+ | 3月22日 卒業式(男子303、女子138、計441名)。式はHR毎に行なわれ、校内放送で校長式辞<ref name="60shunen" /> (高等学校「学校要覧」昭和45年度/2・3の予定には「3月15日」とあり) | ||
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+ | 3月30日 (新入生召集日)<ref name="60shunen" /> | ||
− | + | 3月30日 1・2年成績会議<ref name="60shunen" /> | |
==教職員一覧== | ==教職員一覧== |
2017年8月24日 (木) 01:48時点における版
できごと
行事週間をつくり、三大行事(創作展、芸能祭、体育祭)中は授業をせず、全生徒が専心できるようにする。
4月 新カリキュラム導入、必修100単位から80、85単位で卒業
11月 K戦線公開質問状に対し「一部生徒の質問に対する回答」を掲示
11月18日 学校側が全生徒にプリント「改革の主旨と解説」を配布。放課後“一部生徒の質問に答える会(いわゆる団交①)”(於・講堂。全教員、参加した生徒は1年生を中心に160名)[1]
11月24日 放課後“団交②”(於・紫友会館。生徒指導部を中心に教員31、生徒25名)[1]
12月 見心寮売却 (60周年記念誌では「11月18日 エーザイ株式会社に見心寮を売却」)
12月25日 「創作」第87号発行
12月25日〜12月30日 スキー教室、夜行で出発(於・妙高高原、5泊6日) [1][2]
1月 食堂の食券を1枚40円から45円に値上げ[3]
1月26日 第3校時、臨時生徒総会(K戦線要請の、署名要求に基づく。「劉君の在日滞留許可の打切り反対討議のため」)。但し、第4校時には定数不足となり総会不成立。集会に切換え[1]
1月29日 第6校時に当てられた臨時生徒総会(26日と同じ)も、定数不足で不成立のため、集会に切換え[1]
2月 出入国管理法についての臨時生徒総会[4]
2月 入管法問題をめぐりハンガーストライキ[4]
2月 劉道昌君を囲む座談会[4]
2月1日 登校時、校門に「入管法阻止、新講座(実験講座)獲得の公開質問状」の立看。昼休時、入管闘生徒2名がハンストに突入[1]
2月2日〜2月3日 入管闘要請の、署名要求に基づく臨時生徒総会は、両日とも定数不足で不成立[1]
2月4日 第2校時、入管闘生徒8名が“ハンスト支持”を呼号して校舎内デモ強行。授業妨害を阻止しようとする数名の教員に討論を強要しこづく。以後、教員に対する同様な事件が2度発生[1]
2月10日 授業打ち切り(3年)[2]
2月13日 SHR時に、学校側はプリント「全生徒諸君へ」を配布し、入管闘生徒が要求する新講座を不認可宣言。放課後、入管闘主催の“劉君招待懇談会”(於・紫友会館。生徒40名、オブザーバーとして教員5名)[1]
2月18日 放課後“団交”(於・講堂。教員19、生徒40名)[1]
2月23日 学力検査[1]
2月23日 学力検査終了後、校門警備を破り、入管闘生徒数名が下校する受験生にビラを配る[1]
2月24日 一部生徒による一連の暴力的行為・違反行為に対し、学校当局が警告。全校生徒にもプリントを配布し、事実説明と学校側態度を示す[1]
2月25日 第3校時、入管闘生徒2名が放送室を占拠し数分間“劉君に応ぜずして新カリを認めるな”と放送。一般生徒多数が放送室周辺に集まり暴挙を避難。学校側も違反行為を警告し電源を切る。昼休時、入管闘が武装校内デモ。放課後“団交”(於・紫友会館。教員18、生徒20名)[1]
2月26日 第5校時、再度8分間放送ジャック[1]
3月 期末考査にバリケード闘争起り考査中止
3月 各HRで卒業式[8]
3月 創立50周年記念事業として講堂内外の修復が完了。講堂下1階の一部は定時制給食用食堂として改造[6] この工事によって講堂2階部分が傾斜床から水平床に変更になったと思われる。
3月1日 「開拓」第57号発行
3月6日〜3月10日 学期末考査[2] (2日目で中止)
3月7日 夕方から入管闘生徒4名が他校生12名とA棟2階の大職を中心にバリケード構築開始、期末テストが2日目で中止[1][4][5][8]
3月8日 早朝に全教員集合。警察力を極力避けて、自主解除に全力をあげることを確認。始業時までに教員の手で大職以外のバリケードを解除。登校した一般生徒にHRで担任が期末考査延期を知らせるとともに封鎖経過を説明。その後、HR討論。他方、引続き教員がバリ実行生徒(バリ実行委と自称)にバリ封解除を説得するも応ぜず。夕方、職員の手で大職のバリ封鎖解除を試みるも抵抗が激しく不成功[1]
3月9日 朝から一般生徒はHRなどで自主討論。HR或は生徒有志による「バリ封解除要求」の立看が林立。午後、生徒会中央委員会が「バリ封自主解除希望書」をバリ実行委に手交。[1]
3月10日 正午からバリ封内に百名程度の一般生徒が入り“討論会”。午後3時、バリ実行委が自主解除を宣言し、封鎖を解き始める[1][4]
3月13日 臨時生徒総会で期末考査中止要請を採決。学校側は、期末考査中止を決定。その後、“団交”を2度開くも、いずれも参加生徒は10名程度。なお、学校当局は、封鎖に中心的役割を演じた生徒とその保護者に対して連名の確約書を提出させる[1]
3月20日 修了式。1・2年の通知表は新学期に手交することとする[1] (高等学校「学校要覧」昭和45年度/2・3の予定には「終業式」とあり)
3月22日 卒業式(男子303、女子138、計441名)。式はHR毎に行なわれ、校内放送で校長式辞[1] (高等学校「学校要覧」昭和45年度/2・3の予定には「3月15日」とあり)
3月30日 (新入生召集日)[1]
3月30日 1・2年成績会議[1]
教職員一覧
職名 | 教科目 | 氏名 | 担任 | 校務分掌 | クラブ顧問 | PTA・紫友会 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
校長 | 井上義夫 | 紫友会理事長 | |||||
教頭 | 社会(倫理・政経) | 松元俊雄 | P副会長・紫理事 | ||||
教諭 | 国語 | 市毛勝雄 | 2G | 生活指導 | 男子バレー | ||
金津秀一郎 | 2C | 学年主任 | P委員・紫監事 | ||||
木村博 | 1D | 人事(長) | 写真研 | P委員 | |||
鈴木由次 | 人事、運営、教問検 | ||||||
西川朝彦 | 1A | 生活指導 | 女子バレー | ||||
南沢鉄郎 | バドミントン・新聞研 | ||||||
森下千代 | 生活指導 | ||||||
吉田良夫 | 3D | 生活指導 | 映研・劇研 | P委員 | |||
社会 | 倫社・政経 | 田中正彦 | 生活指導 | 野球・社研 | |||
川野健二郎 | 生活指導(長) | 山岳・ワンゲル同 | P委員・紫理事 | ||||
世界史 | 小沢正男 | 教務 | 開拓 | ||||
佐藤三夫 | 2I | 人事・運営 | |||||
日本史 | 野田幸三郎 | 教問検(長) | 硬式テニス | ||||
毛利和夫 | 3G | 生活指導 | 部落研 | ||||
地理 | 斉藤薫 | 1G | 学年主任 | 剣道 | P委員・紫理事 | ||
高野繁 | 3H | 人事・生活指導 | 男子バスケット | ||||
数学 | 青木太夫 | 2A | 保健 | 野球 | |||
上野禮一郎 | 教務 | ||||||
国枝久士 | 教務(長) | P委員 | |||||
竹内誠吉 | 1C | 保健・教問検 | ワンゲル・数理研 | ||||
田辺仁士 | 1B | 生活指導 | 軽音研 | ||||
留岡亮二 | 運営 | バドミントン・鉄研 | |||||
橋本弘子 | 3B | 教務 | 卓球 | ||||
三和一雄 | 運営・予算 | サッカー | 紫理事 | ||||
理科 | 物理 | 江渡明穂 | 生活指導 | 電波研 | |||
佐々木晴彦 | 職員会議議長・教問検 | ||||||
松村清 | 1I | 人事・運営・予算(長) | 軟式テニス | ||||
化学 | 住谷正夫 | 2B | 生活指導・教問検 | 落語研 | |||
竹野博 | 3I | 学年主任 | P委員・紫監事 | ||||
長谷川俊明 | 生活指導 | 化学研・卓球 | |||||
地学 | 土屋龍雄 | 2D | 教務 | 天文研・地学研 | |||
生物 | 大滝末男 | 3C | 保健 | 生物研・水泳・スキー | |||
下河嗣朗 | 生活指導 | ||||||
保健体育 | 熱田恵司 | 2H | 生活指導 | 男女バスケット | |||
千葉芳弘 | 1H | 生活指導 | 柔道 | ||||
西中良夫 | 3E | 保健(長)・予算 | 体操 | P委員 | |||
三澤好章 | 保健 | サッカー | |||||
馬上キミエ | 教務 | 陸上 | |||||
芸術 | 美術 | 大勝恵一郎 | 3A | 運営 | 美研・将棋研 | ||
工芸 | 前田泰彦 | 生活指導 | |||||
音楽 | 横田勇 | 教務 | 音楽研・室内楽研 | ||||
外国語 | 英語 | 新貢治 | 運営(長)・予算 | P書記・紫理事 | |||
石川昌 | 生活指導 | ||||||
井上喜八郎 | 1E | 職員会議議長 | 写真研 | ||||
大滝宗一郎 | 2E | 生活指導 | 柔道 | ||||
鈴木宏 | 1F | 教務 | ワンダーフォーゲル | ||||
田島敏雄 | 教務 | 陸上 | |||||
三浦訖 | 3F | 生活指導・教問検 | |||||
山名盛義 | 2F | 運営 | 英語研・民謡研 | ||||
家庭 | 大町淑子 | ||||||
司書 | 面川洽治 | 教務 | |||||
養護 | 大宅三恵子 | 保健 | 茶道・華道 |
教科 | 氏名 | ||
---|---|---|---|
非常勤講師 | 国語 | 寺田純子 | |
守屋禎次 | |||
社会 | 政経 | 阿部由紀 | |
世界史 | 久能孝雄 | ||
数学 | 伊藤和雄 | ||
理科 | 地学 | 木原国昭 | |
生物 | 今井壮一 | ||
保健体育 | 新藤宏子 | ||
外国語 | 英語 | 金子邦子 | |
Ivan Bell | |||
独語 | 布施敬二郎 | ||
家庭 | 山口恭子 | ||
富永万素子 | |||
山本純子 | |||
校医 | 内科 | 中村脩 | |
耳鼻咽喉科 | 工藤シノブ | ||
眼科 | 村尾勉 | ||
歯科 | 橋本八朗 | ||
薬剤師 | 高木重長 |
職名 | 氏名 | 分担 | PTA・紫友会 |
---|---|---|---|
事務長 | 沢田芳郎 | P委員・紫理事 | |
事務主事 | 有賀清之助 | 庶務 | |
岩崎弘 | 施設・契約 | 紫書記 | |
加藤直子 | 給与 | ||
佐々木君子 | 給与 | ||
竹内節子 | 外郭団体会計 | ||
峰岸誠 | 契約・奨学 | ||
事務主事補 | 多胡奈都子 | 学事・管財 | |
用務員 | 上原桑吉 | ||
鈴木弥太郎 | |||
吉田治男 | |||
警備員 | 高見芳美 | ||
望月季美 | |||
業務員 | 遠藤啓子 | 理科 | |
正善夏子 | 図書 | ||
助手 | 片岡雪夫 | 事務 | |
野村宏 | 教務 | ||
大久保誠二 | 教務 | ||
太田正治 | 理科 |
生徒在籍数
組 | A | B | C | D | E | F | G | H | I | 計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1年 | 男 | 33 | 33 | 33 | 33 | 31 | 33 | 32 | 33 | 33 | 294 |
女 | 16 | 16 | 15 | 16 | 16 | 15 | 16 | 15 | 15 | 140 | |
計 | 49 | 49 | 48 | 49 | 47 | 48 | 48 | 48 | 48 | 434 | |
2年 | 男 | 32 | 34 | 34 | 34 | 34 | 32 | 33 | 34 | 34 | 301 |
女 | 16 | 14 | 15 | 14 | 14 | 16 | 16 | 14 | 15 | 134 | |
計 | 48 | 48 | 49 | 48 | 48 | 48 | 49 | 48 | 49 | 435 | |
3年 | 男 | 35 | 35 | 33 | 33 | 33 | 34 | 34 | 34 | 35 | 306 |
女 | 15 | 15 | 16 | 15 | 15 | 16 | 16 | 15 | 15 | 138 | |
計 | 50 | 50 | 49 | 48 | 48 | 50 | 50 | 49 | 50 | 444 |
芸能祭
9月00日開催
体育祭
10月4日開催
創作展 (第00回)
9月00日、00日の2日間
参加団体
創作展賞
開拓 (第00号)
目次
- 編集後記
卒業証書
この年の卒業証書は本籍地が記載されていた。
卒業アルバム
関連事項
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 1.22 1.23 1.24 1.25 1.26 60周年記念誌
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 高等学校「学校要覧」昭和45年度/2・3
- ↑ 「創作」第90号:昭和47年3月15日/(4)
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 「創作」第90号:昭和47年3月15日/(2)
- ↑ 5.0 5.1 創立70 周年記念誌
- ↑ 6.0 6.1 紫友同窓会会報No.1_1973年(昭48年)(3)
- ↑ 「創作」第134号:昭和60年3月8日/(1)
- ↑ 8.0 8.1 「創作」第113号:昭和56年7月20日/(4)