「1969年度 (昭和44年度)」の版間の差分

提供:五中・小石川デジタルアーカイブ
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 1969年9月5日「全都高校生の連帯集会」という集会が校内で開催されるという情報があり、午前10時ごろ、数十名のヘルメット覆面姿の他校生が校門前から[[ハワイ]]に向かってデモ行進した。校舎前は騒然となり授業は中断、3年生を中心とした在校生はデモ学生を取り囲み「帰れ」コールが起こり、集会は流会となる。このことについて並木(022E)は「多くの3年生にとって、大学闘争・安保闘争は受験後にいずれ向き合うものと考え、あえて意識外に置くような空気があった。023, 024の代と異なる。」と回想している。
 
 1969年9月5日「全都高校生の連帯集会」という集会が校内で開催されるという情報があり、午前10時ごろ、数十名のヘルメット覆面姿の他校生が校門前から[[ハワイ]]に向かってデモ行進した。校舎前は騒然となり授業は中断、3年生を中心とした在校生はデモ学生を取り囲み「帰れ」コールが起こり、集会は流会となる。このことについて並木(022E)は「多くの3年生にとって、大学闘争・安保闘争は受験後にいずれ向き合うものと考え、あえて意識外に置くような空気があった。023, 024の代と異なる。」と回想している。
  
 その後、全共闘準備会が全校集会を要求し、学校側が対応に苦慮していく。
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 その後、全共闘準備会が全校集会を要求し、学校側が対応に苦慮していく。1969年10月20日に「四項目要求に対する回答」と題する意見を学校側が提示した。
  
 
<blockquote> 全斗連の諸君から提起された四項目要求をめぐって、ここ数日来、学校全体が不安定で平常の学習環境がかなり乱れている状態にあります。私たちは相互の理解を深め、1日も早く事態の収拾につとめたいと念願し、150余名の署名に基づく大衆団交の要求に対して、先週水曜の午後、「一部の生徒の質問に答える集会」をもち、さらに引き続いて話し合いを重ねていく考えでおりました。
 
<blockquote> 全斗連の諸君から提起された四項目要求をめぐって、ここ数日来、学校全体が不安定で平常の学習環境がかなり乱れている状態にあります。私たちは相互の理解を深め、1日も早く事態の収拾につとめたいと念願し、150余名の署名に基づく大衆団交の要求に対して、先週水曜の午後、「一部の生徒の質問に答える集会」をもち、さらに引き続いて話し合いを重ねていく考えでおりました。

2016年10月26日 (水) 17:29時点における版

できごと

都立秋川高校校長井上義夫本校校長に転補

6月7日 紫友法曹会第一回会合を紫友会館日本間で開催[1]

9月 全共闘準備会結成され、一部生徒によりアジビラ、立看板、ハンスト、デモ、学校封鎖が起きた[2]

11月 全生徒にプリント「われわれは話し合いによる改革を提案する」を配布

2月 カリキュラム改革をめぐる紛争も起り、全生徒にプリント「全校生徒諸君に」を配布

3月 講堂改修完成

教職員一覧

職名 氏名 担当教科 HR担任 校務分掌 生徒会・クラブ顧問 PTA紫友会
校長 井上義夫 紫友会理事長
教頭 松元俊雄 社会(倫・政) P副会長・紫理事

四項目要求に対する回答

 1969年9月5日「全都高校生の連帯集会」という集会が校内で開催されるという情報があり、午前10時ごろ、数十名のヘルメット覆面姿の他校生が校門前からハワイに向かってデモ行進した。校舎前は騒然となり授業は中断、3年生を中心とした在校生はデモ学生を取り囲み「帰れ」コールが起こり、集会は流会となる。このことについて並木(022E)は「多くの3年生にとって、大学闘争・安保闘争は受験後にいずれ向き合うものと考え、あえて意識外に置くような空気があった。023, 024の代と異なる。」と回想している。

 その後、全共闘準備会が全校集会を要求し、学校側が対応に苦慮していく。1969年10月20日に「四項目要求に対する回答」と題する意見を学校側が提示した。

 全斗連の諸君から提起された四項目要求をめぐって、ここ数日来、学校全体が不安定で平常の学習環境がかなり乱れている状態にあります。私たちは相互の理解を深め、1日も早く事態の収拾につとめたいと念願し、150余名の署名に基づく大衆団交の要求に対して、先週水曜の午後、「一部の生徒の質問に答える集会」をもち、さらに引き続いて話し合いを重ねていく考えでおりました。

 しかしながら第一時限から団交をひらけという全斗連の要求に対して、私たちは一般生徒の意見も十分反映するように議長選出について条件をだしました。しかし合意にいたることはできませんでした。そこで全斗連の諸君はハンストという非常手段を背景に私たちに要求の承認を求め本日にいたっています。  四項目要求については、すでに10月2日の朝礼の際に明確に答えておきましたが、この機会に私は改めて学校としての回答を明示しておきたいと思います。  第1に、9月20日の校長放送を撤回し自己批判をせよということですが、私は現在でも訂正しなければならぬようなことはないと信じております。私があの放送で話したのは、「現代のような流動的な社会環境の中にあって、政治問題や社会問題に対して無関心であってはいけない。問題意識を高めて勉強してほしい。ただ一つの角度からだけ眺めたり、特定の思想に基づいた政治的党派集団に属したりして直接行動にでるということは厳につつしんでほしい」ということであります。9.5にみられたような,他校生を本校によんでの特定の党派的集団による集会を認めることは、極右から極左までのあらゆる集会を認める結果となり、今後この小石川高校という教育の場をはなはだしい混乱におとしいれる原因ともなります。  全斗連の抗議にあるように、「高校生の政治活動はすべて悪である」と一方的にきめつけたわけではありません。  いったい、政治的活動ということばの意味する内容やその範囲はきわめて広く、単純に定義づけたり規定したりすることは困難であります。たとえば学校によっては、校内で安保反対のビラをくばったり、討論会を開いたりすることも禁止しているところもあります。同じ政治活動といっても、このようにビラをくばったり討論会を開く程度のことから、デモ、集会への参加、あるいは、まあたらしく報道されている公共機関への襲撃といったような、まったく過激な直接行動にいたるまで、目的や意図、手段、方法において複雑多岐にわたっているのが実情であります。  したがって高校生の政治活動はよいとかわるいとか、一律に規定してしまうことは、きわめて危険であり、また教育の任にあたる者としてかえって無責任な態度になると考えます。社会や政治に対する関心と認識を高めることを前提として、やはりそれぞれの時点において現実の問題としてさまざまな角度から妥当な判断に立って、高校生として参加すべきか否かをきめていかざるを得ません。また、現在の社会では価値観そのものが流動的であるために、正か否かをはじめからきめてかかることは、私たちがいずれかの立場に加担することにもなることを十分理解してもらいたいと思います。このように考えてきますと正か否かという二者択一の性急な結論は出し得るはずはありません。  また、高校生として許される政治活動の限界を示せという要望もありますが、上述のように政治活動そのものの内容や段階が複雑にわかれている以上、どの線までならよいと安易に限界を示すことは慎重を要し、はげしい流動を続ける現代社会に対処する賢明な方法ではないと思います。

第2に、9.5で学校がなぜ授業を午前中で打ち切って全生徒を帰宅させようとしたか、いわゆるロックアウトしたことについて自己批判せよという問題について回答します。  私たちには、あの当日いったい何人の外部の生徒が、どのような装備でやってくるのか、いっさい不明でした。「全都高校生の連帯集会」というような名称であったため、場合によっては1000名以上集まる可能性も考えられるほどでした。集会の内容について実行委員の生徒に尋ねてもまったく教えてくれませんでした。したがって本校生徒との間にトラブルが起こって思わぬ事故が起こることも考えられる状態におかれておりました。  あの場合、結果からみれば、彼らが予定よりも早く来、また規模が小さかったし、その後予想された後続部隊も来なかったので、私たちのとった方法や行動については適切でない点があったかもしれません。また居残った生徒に対する私たちの指導に不徹底な点があったことについても反省しなければならないと思います。しかし原則的に云って、多くの生徒諸君を預っている学校として、まず、生徒全員の安全を守るために万全の措置を講ずるということは当然のことであると考えます。

 第3に、今後もいっさいの処分をしないという保証をせよという要求についてお答えします。本校はいかなる場合も機械的な処分を軽々しく行なうことは考えていません。可能なかぎり、許すかぎり、それらの諸君と話し合いを続けていくということが、私たちの基本的な立場です。しかしたとえば学校の器物がいちじるしく破損されたり、暴力などによって生徒諸君に危害が及ぶなどのことが万一起これば、そのような行為に対する責任はとってもらわなければなりません。  したがって、諸君が「いっさいの処分をしない保証をせよ」という要求をするのではなくて、むしろ諸君こそ、私たちをしてやむなく処分をしなければならないような状況に追いこむことのないよう自重してほしいと思います。

 第4に掲示、集会の許可制を撤廃せよとの要求に対してお答えします。掲示、集会の自由は、諸君の要求をまつまでもなく、憲法に示されているとおり、「一切の表現の自由はこれを保障」しなければならないと考えます。しかし、すべての権利がそうであるように、表現の自由という権利も他の権利と同様に抽象的空間に浮遊しているのではありません。「一切の表現の自由を保障する」からといって、それが他人の自由を侵す権利にはならないのです。社会が多数の人間によって構成され、われわれや諸君がそこにいるかぎり、権利の濫用がいましめられるのは当然のことでしょう。私たちや諸君が何を考え、どんな信念をもとうと、それについてだれからも干渉をうける理由はありません。しかしそれが社会的行為として他の人間とかかわりをもつ段階においては、相互の権利の間に何らかの調整が行なわれなければならないと考えるのもまた当然のことでしょう。なぜなら、個々のすべての人の権利は平等であるべきだからです。したがって権利の実現は平等な関係においてのみありうることで、その意味でこの問題に関して私たちは、諸君とわたしたちの問題を、大人と子供の問題としてとらえる立場をとるものではありません。私たちはこれを諸権利間の調整と考えます。それを民主的妥協とか自由にともなう責任とかよんでもよいでしょう。  学校が主体的な思考の訓練の場であるとすれば、学校そのものがいずれかの価値観に加担してその宣伝者になることをできるかぎり意識的積極的にさけるのが当然であり、そうしなければならないと考えます。したがって、その場合に私たちが果すべき役割は平等な諸権利間の調整者であり、この調整者としての立場を回避すべきではないでしょう。もしそうでなければ、弱者の権利を事実上みごろしにすることになるでしょう。平等のないところで自由を強調することは不平等を大きくするといわれます。学校は諸君とともに権利の調整者としての責任を進んで負うものであります。権利間に衝突が起きた場合、自由の名のもとに関知せざる態度をとるということは許されない無責任な態度であり、現実の問題処理を放棄するものといわなければなりません。すでに何度ものべてきましたように、本校の掲示集会に関する規約は実質的には届出制に近いかたちで実施されてきていることは、多くの諸君の認めるところだろうと思います。それは現在までのところ諸君や私たちが権利の調整者としての責任を大過なく果してきた証拠と考えてよいのではないでしょうか。  

  あとがき 〔学校側の答弁があいまいだとの印象について〕  10月15日(水)のいわゆる“大衆団交”における学校側の答えをはじめ、先生方の答えがあいまいであり、逃避しているのではないかとの声もあるときいています。この機会に、そのことについての見解をつけ加えておきます。  現実に政治活動がおこなわれ、これを認めるか認めないかについて一般的な原則をたて、これによって是非を判定することは、一見きわめて明快な満足感を与えるように思われます。しかし、学校はそのようなやり方は非現実的であると考えます。また責任ある良心的なやり方だとは考えません。  なぜなら、よいかわるいかを決めることは、ある一つの価値体系を積極的に肯定することにほかなりません。現在のように体制的といわれる価値観が批判されている時点において、私たちもまたすべての問題をいわゆる体制的価値観のみにこだわって、その是非を判断することにためらいをおぼえると同時に、一方反体制的といわれる価値観に立って判断を下すことにも、私たちはより以上に慎重たらざるをえないのです。それは未来の側からなされる判断であり、未来のそれであるがゆえに極めて多様でありうるのです。極右から極左にいたるまでさまざまなのです。そのどれをとるかは問題ではありません。なぜならある時期に、ある一つの価値観によって下される判断が正しいか否かは時の経過のみが決定しうることだからです。現時点での特定のイデオロギー的な断定は、それに確たる信念を持つものが、そのつよい信念の表明として行なう場合にのみ意味をもつかもしれないが、現実の場で現実の具体的問題を処理するための判断として行なわれるとすれば、無責任のそしりをまぬがれないでありましょう。  学校が二者択一的回答を要求されたとき、ためらい迷い諸君の眼からみれば、あいまいでにえきらないとも思われる答えを出すのは、いたしかたないことであります。ためらいつつも問題処理の根拠を求めなければならないとすれば、私たちに許されるのは現実におこり、またおこるであろうと切実に考えられる経験的事実のみでありましょう。  だから基本的に私たちはむしろ積極的にこのような態度を守っていくでしょう。                               おわり

1969.10.20.                都立小石川高等学校

関連事項

脚注

  1. 紫友同窓会会報No.6
  2. 紫友同窓会報No.7