「開拓」の版間の差分

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==巻頭の辞==
 
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開拓之精神に就て
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 東京府立第五中学校は創設せられ、紫友会は成立した。併し生まれたばかりの此学校が今から後にどの様な生ひ立ちをなすべきか誰しも豫言することは出来ぬ。うなる子の様な純真なる心に、世の中のすべてを受け入れながら、多くの立派なる模範を他の学校から採ることが大切であるけれども、長き歴史を有し居る学校であるからというても、其校風が立派であるとは定まって居らぬ。
 
 東京府立第五中学校は創設せられ、紫友会は成立した。併し生まれたばかりの此学校が今から後にどの様な生ひ立ちをなすべきか誰しも豫言することは出来ぬ。うなる子の様な純真なる心に、世の中のすべてを受け入れながら、多くの立派なる模範を他の学校から採ることが大切であるけれども、長き歴史を有し居る学校であるからというても、其校風が立派であるとは定まって居らぬ。
  
 
 世界の大戦が終わりを告げたからとしふて、今更の如くに改造を唱えるのは浅はかな考えと言わねばならぬ。けれども、徒に奮きを守りて、生々進歩の常道を無視する様な笑ふべき態度に陥ることも宜しくない。古今を貫き東西を通じて、宇宙の真理があり人生の正道が生きて居る。この真理を求め斯道を明ならしめんと努勉する吾等が行往の修養に思ひを潜めんとするところ、目ざすは人間の理想である。真剣の力を集めて、戦い且闘はんと願ふのはどこまでも主義の為である。吾所信を行はんとの熱情があればこそ、男の意気地にも少年時代からの苦学励行に歳月の短かきをかこつのである。
 
 世界の大戦が終わりを告げたからとしふて、今更の如くに改造を唱えるのは浅はかな考えと言わねばならぬ。けれども、徒に奮きを守りて、生々進歩の常道を無視する様な笑ふべき態度に陥ることも宜しくない。古今を貫き東西を通じて、宇宙の真理があり人生の正道が生きて居る。この真理を求め斯道を明ならしめんと努勉する吾等が行往の修養に思ひを潜めんとするところ、目ざすは人間の理想である。真剣の力を集めて、戦い且闘はんと願ふのはどこまでも主義の為である。吾所信を行はんとの熱情があればこそ、男の意気地にも少年時代からの苦学励行に歳月の短かきをかこつのである。
  
更に貴ぶべきは、自ら進んで為さんとする向上の一念である。熟慮考究の上に何物かを作り出さんとする発明の苦心である。事故の運命と共に、この学校斯の校友会に幸栄の前途あれかしとつとむる開拓の精神である。然り、発明之雄心、開拓之意気、吾等は紫友会の会員諸子と共に、今後長く吾等の主義をこの精神に結びつけて見たいと考えて居る。
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 更に貴ぶべきは、自ら進んで為さんとする向上の一念である。熟慮考究の上に何物かを作り出さんとする発明の苦心である。事故の運命と共に、この学校斯の校友会に幸栄の前途あれかしとつとむる開拓の精神である。然り、発明之雄心、開拓之意気、吾等は紫友会の会員諸子と共に、今後長く吾等の主義をこの精神に結びつけて見たいと考えて居る。
  
 
 吾は開拓者なり!と若き人々が胸に一片の希望を抱いて、雄々しくも人生の行路に歩みを運ぶとき、吾等はそこに地上人間文明の夜明けを見ることが出来たのである。更に想ふ豊葦原瑞穂國を闢き給ひし天孫の御事業は、天つ神の御理想を其ままに、この大八州國に行ひ給ひしものであるとは言いながら、天孫及其八十とものをの方々が開闢の初に當り、いかにけなげにいかに雄大なる志を抱いて斯國土開発につとめ給ひしかと、吾等は坐ろに日本民族祖先の勇気と其抱負とに感じ入る外はない。
 
 吾は開拓者なり!と若き人々が胸に一片の希望を抱いて、雄々しくも人生の行路に歩みを運ぶとき、吾等はそこに地上人間文明の夜明けを見ることが出来たのである。更に想ふ豊葦原瑞穂國を闢き給ひし天孫の御事業は、天つ神の御理想を其ままに、この大八州國に行ひ給ひしものであるとは言いながら、天孫及其八十とものをの方々が開闢の初に當り、いかにけなげにいかに雄大なる志を抱いて斯國土開発につとめ給ひしかと、吾等は坐ろに日本民族祖先の勇気と其抱負とに感じ入る外はない。

2018年9月17日 (月) 13:45時点における版

開拓 (かいたく) は、大正8年の創立当時から発行が続く校友誌である。

概要

教職員、保護者、生徒で構成される紫友会が発行する校友誌として創立初年度から発行が始まった。戦前までは年に1, 2回のペースで発行されていたが、戦争激化のためと思われるが 1943年(昭和18年)10月25日の第34号で中断された。戦後は昭和22年3月1日に第35号を発行して復刊した。復刊直後は発行間隔が安定しなかったが、第38号以降は現在に至るまで年1回(年度末)の発行が定例化している。

当初より生徒の絵画、写真、論説、小説、研究報告などが多い研究報告・作品紹介の色合いの強い雑誌である。特に戦後は校友会としての財団法人紫友会からPTA、生徒自治会が分離独立した影響もあってか、紫友会決算報告や行事報告などの記事が徐々に姿を消して実質的に文芸誌となっていった。昭和46年の新聞「創作」には開拓の存在意義を問う記事が掲載された[1]

開拓の存在意義を問う記事

巻頭の辞

開拓之精神に就て

 東京府立第五中学校は創設せられ、紫友会は成立した。併し生まれたばかりの此学校が今から後にどの様な生ひ立ちをなすべきか誰しも豫言することは出来ぬ。うなる子の様な純真なる心に、世の中のすべてを受け入れながら、多くの立派なる模範を他の学校から採ることが大切であるけれども、長き歴史を有し居る学校であるからというても、其校風が立派であるとは定まって居らぬ。

 世界の大戦が終わりを告げたからとしふて、今更の如くに改造を唱えるのは浅はかな考えと言わねばならぬ。けれども、徒に奮きを守りて、生々進歩の常道を無視する様な笑ふべき態度に陥ることも宜しくない。古今を貫き東西を通じて、宇宙の真理があり人生の正道が生きて居る。この真理を求め斯道を明ならしめんと努勉する吾等が行往の修養に思ひを潜めんとするところ、目ざすは人間の理想である。真剣の力を集めて、戦い且闘はんと願ふのはどこまでも主義の為である。吾所信を行はんとの熱情があればこそ、男の意気地にも少年時代からの苦学励行に歳月の短かきをかこつのである。

 更に貴ぶべきは、自ら進んで為さんとする向上の一念である。熟慮考究の上に何物かを作り出さんとする発明の苦心である。事故の運命と共に、この学校斯の校友会に幸栄の前途あれかしとつとむる開拓の精神である。然り、発明之雄心、開拓之意気、吾等は紫友会の会員諸子と共に、今後長く吾等の主義をこの精神に結びつけて見たいと考えて居る。

 吾は開拓者なり!と若き人々が胸に一片の希望を抱いて、雄々しくも人生の行路に歩みを運ぶとき、吾等はそこに地上人間文明の夜明けを見ることが出来たのである。更に想ふ豊葦原瑞穂國を闢き給ひし天孫の御事業は、天つ神の御理想を其ままに、この大八州國に行ひ給ひしものであるとは言いながら、天孫及其八十とものをの方々が開闢の初に當り、いかにけなげにいかに雄大なる志を抱いて斯國土開発につとめ給ひしかと、吾等は坐ろに日本民族祖先の勇気と其抱負とに感じ入る外はない。

発行体

東京府立第五中学校 紫友会(1-30)

東京府立第五中学校 紫友報国団(32-34)

東京都立第五中学校内 紫友会(35)

東京都立小石川高校学校内 開拓編集室(37-40)

東京都立小石川高等学校内 開拓編集部(41-58)

東京都立小石川高等学校生徒自治会 開拓編集部 (59-64)

東京都立小石川高等学校生徒自治会(65-69)

東京都立小石川高等学校生徒自治会 開拓編集局(70-)

第36号

保管資料や記録から第36号が抜けている。発行されたとすれば第35号(昭和22年3月1日発行)から第37号(昭和25年12月8日発行)までの3年9ヶ月の間に発行されたはずだが、戦後復興期の混乱で保管資料や記録が抜けたのか、そもそも発行されておらず号数を数え間違えたのかはっきりしない。

一覧

脚注

  1. 創作 第89号 4ページ (昭和46年11月8日発行)