「新聞」の版間の差分

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昭和23年6月 「五高新聞」発行
 
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昭和25年5月 「小石川高校新聞」へ改題
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昭和25年5月 校名変更に伴い「小石川高校新聞」へ改題
  
昭和26年1月 「小石川高校新聞」と「小石川高新聞」に分裂
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昭和26年1月 新聞研究会が発行する「小石川高校新聞」と新聞部が発行する「小石川高新聞」に分裂
  
 
昭和29年6月 「小石川高校新聞」に統合
 
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文字通り壁新聞となっており、新聞を作りたいと志向した生徒が先生の協力を得ながら作ったガリ版刷り。壁新聞はこの1号限りで、こののちは配布物として五高新聞になる。
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文字通り壁新聞となっており、新聞を作りたいと志向した生徒が先生の協力を得ながら作ったガリ版刷り。壁新聞はこの1号限りで、こののちは配布物として五高新聞になった。
  
 
==五高新聞==
 
==五高新聞==
五高壁新聞の成功を受けて配布物として作成されるようになったのが五高新聞。
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五高壁新聞の成功を受けて配布物として作成されるようになったのが五高新聞。昭和23年6月4日に第1号発行。ガリ版刷りで始まった。校名が小石川になるまで全部で9号が発行された。
  
昭和23年6月4日に第1号発行。ガリ版刷りで始まる。
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第5号から発行所が「東京都立第五高等学校新聞研究会」になり、活字による印刷になった。ロゴは明朝体の活字を使ったシンプルなデザイン
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[[ファイル:Gokousinbunlogo.jpg|100px|五高新聞ロゴ(第5号から第6号)]]
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第7号からはムラサキ(桜?)をバックにした毛筆書体ロゴに変更
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第5号から発行所が「東京都立第五高等学校新聞研究会」になり、活字による印刷になった。ロゴは明朝体の活字を使ったシンプルなデザイン
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==小石川高校新聞==
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校名変更に伴い、第10号(昭和25年5月29日発行)から小石川高校新聞に改題。号数は改題前の五高新聞から継続している。発行所は東京都立小石川高等学校新聞研究会に。森の中の女性2人を背景にしたロゴ
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特定の方向性をもった政治色が強い編集方針に反発が起き、自治委員会は昭和25年12月16日に新聞研究会の解散を指令した<ref>小石川高新聞第1号(昭和26年1月29日発行)</ref>。そのため小石川高校新聞は昭和25年11月12日第13号で号数カウントが一旦途切れることになった。
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==小石川高新聞==
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[[ファイル:Sinbunbuhossoku.jpg|thumb|180px|新聞部発足を伝える記事(小石川高新聞第1号)]]
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政治色が濃い小石川高校新聞の編集方針に反発した生徒が純粋な研究会活動への回帰を目指して小石川高等学校新聞部を創立し、発行したのが小石川高新聞である。本紙と並行して解散を命ぜられた側の小石川高校新聞も発行が続いていたためこの時期は生徒新聞が2紙になっていた。
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昭和26年1月29日「小石川高新聞」第1号発行。発行所は都立小石川高等学校新聞部
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昭和28年2月23日発行の第10号が最後で、新聞部は新聞研究会に吸収合併された。
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==小石川高校新聞(2)==
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新聞研究会が自治委員会から解散を指令されたことで小石川高校新聞の号数は第13号で一旦途切れ、再度第1号からカウントが始まった。この小石川高校新聞は縮刷版では「小石川高校新聞(2)」と表記されている。第1号、第2号は不詳。横線を背景にしたフェルト文字のロゴになっている(1号2号のロゴは不明)。
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号数が1からカウントしなおしになった小石川高校新聞(2)は小石川高新聞と並行しての発行が続いたが、その後両者が合併し昭和29年6月23日発行の小石川高校新聞(2)第14号は、小石川高新聞を発行していた新聞部を吸収合併したあとの初の発行になった。
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昭和31年6月21日第23号までこの「小石川高校新聞」の題で発行された。
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==創作==
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[[ファイル:Sinbunkaidai.jpg|thumb|200px|改題を伝える新聞「創作」の記事]]
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編集部の陣容一新を機に昭和31年10月2日第24号から創作に改題され、幅広横線にムラサキの枝花のロゴになった。号数は改題前の小石川高校新聞(2)から継続している。題字は変わったもののページ上部の記載は小石川高校新聞のままだった。
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新聞の名称が「創作」に改題になったもののページ上部の記載はしばらく安定しなかった。改題最初の号ではページ上部は「小石川高校新聞」のままだった。
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次の第25号ではページ上部の表記が「THE SOSAKU」と英語になっている。英語表記はこの号限りの珍しい表記だった。
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次の第26号と第27号ではページ上部の表記は「小石川高校新聞」に戻った。
  
第7号から桜をバックにした毛筆書体ロゴ
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昭和25年5月29日第10号から小石川高校新聞に変更。発行所「東京都立小石川高等学校新聞研究会」
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第26号ではロゴの背景の横線が細かいものになり植物は枝葉がなくなり花だけに変わっている。ロゴはこれ以降2017年の時点でも変わらず続いている。
  
昭和25年11月12日第13号で号数カウントが一旦途切れる。新生小石川高校新聞(縮刷版では小石川高校新聞(2)とされている)の第1号、第2号は不詳。横線背景にフェルト文字のロゴ
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昭和31年6月21日第23号まで小石川高校新聞
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第28号 (昭和32年6月26日発行)ではページ上部が「創作」と横に小さい文字で「小石川高校新聞」となって初めてページ上部に「創作」の文字が入った。
  
昭和31年10月2日第24号で創作に改題(上部は小石川高校新聞のまま)幅広横線にムラサキの枝花のロゴ
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第25号の上部は「THE SOSAKU」
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第30号(昭和32年11月18日発行)では文字の大小が入れ替わり、小さい文字で「創作」その横に大きい字で「小石川高校新聞」になった。
  
第26号の上部は「小石川高校新聞」ロゴが細かい横線にムラサキの花に
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第27号の上部も「小石川高校新聞」
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第31号(昭和33年4月7日発行)ではページ上部の表記が「創作(小石川高校新聞)」になり昭和45年12月25日発行の第87号までこの表記が続いた。
  
第28号で上部が「創作」横に小さい文字で「小石川高校新聞」
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第30号では上部が小さい文字で「創作」その横に大きい字で「小石川高校新聞」
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第88号(昭和46年7月20日発行)でページ上部が「創作」の表記になり2017年時点でこの表記が続いている。
  
第31号では上部が「創作(小石川高校新聞)」になりしばらくこの形式が続く(昭和45年12月25日第87号)
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第88号(昭和46年7月20日)で上部が「創作」
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==回顧==
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小石川高校で教鞭をとったこともある作家の[https://ja.wikipedia.org/wiki/小島信夫 小島信夫]が、新聞に関する徒然を「ある高校新聞の縮刷版」として朝日新聞に寄稿している。
  
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昭和26年1月新聞研究会と新聞部に文れる
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==脚注==
昭和26年1月29日「小石川高新聞」発刊 都立小石川高等学校新聞部
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<references />
昭和29年6月23日第14号新聞部と新聞研究会が合併して小石川高校新聞発行
 

2022年4月12日 (火) 09:36時点における最新版

新聞 (しんぶん) は、五高・小石川を通じて生徒(主として新聞研究会)が発行していた生徒新聞である。2017年時点では「創作」というタイトルで発行されている。

変遷

昭和23年5月 「五高壁新聞」発行

昭和23年6月 「五高新聞」発行

昭和25年5月 校名変更に伴い「小石川高校新聞」へ改題

昭和26年1月 新聞研究会が発行する「小石川高校新聞」と新聞部が発行する「小石川高新聞」に分裂

昭和29年6月 「小石川高校新聞」に統合

昭和31年10月 「創作」へ改題

五高壁新聞

昭和23年5月24日に第1号

Gokoukabe01.jpg

文字通り壁新聞となっており、新聞を作りたいと志向した生徒が先生の協力を得ながら作ったガリ版刷り。壁新聞はこの1号限りで、こののちは配布物として五高新聞になった。

五高新聞

五高壁新聞の成功を受けて配布物として作成されるようになったのが五高新聞。昭和23年6月4日に第1号発行。ガリ版刷りで始まった。校名が小石川になるまで全部で9号が発行された。

第5号から発行所が「東京都立第五高等学校新聞研究会」になり、活字による印刷になった。ロゴは明朝体の活字を使ったシンプルなデザイン

五高新聞ロゴ(第5号から第6号)

第7号からはムラサキ(桜?)をバックにした毛筆書体ロゴに変更

五高新聞ロゴ(第7号から第9号)

小石川高校新聞

校名変更に伴い、第10号(昭和25年5月29日発行)から小石川高校新聞に改題。号数は改題前の五高新聞から継続している。発行所は東京都立小石川高等学校新聞研究会に。森の中の女性2人を背景にしたロゴ

Koukousinbunlogo.jpg

特定の方向性をもった政治色が強い編集方針に反発が起き、自治委員会は昭和25年12月16日に新聞研究会の解散を指令した[1]。そのため小石川高校新聞は昭和25年11月12日第13号で号数カウントが一旦途切れることになった。

小石川高新聞

新聞部発足を伝える記事(小石川高新聞第1号)

政治色が濃い小石川高校新聞の編集方針に反発した生徒が純粋な研究会活動への回帰を目指して小石川高等学校新聞部を創立し、発行したのが小石川高新聞である。本紙と並行して解散を命ぜられた側の小石川高校新聞も発行が続いていたためこの時期は生徒新聞が2紙になっていた。

昭和26年1月29日「小石川高新聞」第1号発行。発行所は都立小石川高等学校新聞部

Kousinbunlogo.jpg

昭和28年2月23日発行の第10号が最後で、新聞部は新聞研究会に吸収合併された。

小石川高校新聞(2)

新聞研究会が自治委員会から解散を指令されたことで小石川高校新聞の号数は第13号で一旦途切れ、再度第1号からカウントが始まった。この小石川高校新聞は縮刷版では「小石川高校新聞(2)」と表記されている。第1号、第2号は不詳。横線を背景にしたフェルト文字のロゴになっている(1号2号のロゴは不明)。

Koukousinbunlogo2.jpg

号数が1からカウントしなおしになった小石川高校新聞(2)は小石川高新聞と並行しての発行が続いたが、その後両者が合併し昭和29年6月23日発行の小石川高校新聞(2)第14号は、小石川高新聞を発行していた新聞部を吸収合併したあとの初の発行になった。

昭和31年6月21日第23号までこの「小石川高校新聞」の題で発行された。

創作

改題を伝える新聞「創作」の記事

編集部の陣容一新を機に昭和31年10月2日第24号から創作に改題され、幅広横線にムラサキの枝花のロゴになった。号数は改題前の小石川高校新聞(2)から継続している。題字は変わったもののページ上部の記載は小石川高校新聞のままだった。

Sousakulogo1.jpg

新聞の名称が「創作」に改題になったもののページ上部の記載はしばらく安定しなかった。改題最初の号ではページ上部は「小石川高校新聞」のままだった。

Sousakuhyouki1.jpg

次の第25号ではページ上部の表記が「THE SOSAKU」と英語になっている。英語表記はこの号限りの珍しい表記だった。

Sousakuhyouki2.jpg

次の第26号と第27号ではページ上部の表記は「小石川高校新聞」に戻った。

Sousakuhyouki3.jpg

第26号ではロゴの背景の横線が細かいものになり植物は枝葉がなくなり花だけに変わっている。ロゴはこれ以降2017年の時点でも変わらず続いている。

Sousakulogo2.jpg

第28号 (昭和32年6月26日発行)ではページ上部が「創作」と横に小さい文字で「小石川高校新聞」となって初めてページ上部に「創作」の文字が入った。

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第30号(昭和32年11月18日発行)では文字の大小が入れ替わり、小さい文字で「創作」その横に大きい字で「小石川高校新聞」になった。

Sousakuhyouki5.jpg

第31号(昭和33年4月7日発行)ではページ上部の表記が「創作(小石川高校新聞)」になり昭和45年12月25日発行の第87号までこの表記が続いた。

Sousakuhyouki6.jpg

第88号(昭和46年7月20日発行)でページ上部が「創作」の表記になり2017年時点でこの表記が続いている。

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回顧

小石川高校で教鞭をとったこともある作家の小島信夫が、新聞に関する徒然を「ある高校新聞の縮刷版」として朝日新聞に寄稿している。

Kojimanobuoasahi.jpg

脚注

  1. 小石川高新聞第1号(昭和26年1月29日発行)