伊藤長七

提供:五中・小石川デジタルアーカイブ
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伊藤 長七(いとう ちょうしち、1877年4月 - 1930年)は、日本の教育者。東京府立第五中学校校長(初代)

略歴

長野県諏訪郡四賀村(現・諏訪市)出身。1898年に長野師範学校を卒業してしばらく教壇に立ったのち、1901年に東京高等師範学校に入学。卒業後は同校の教諭となり、木崎夏期大学の開催などに尽力した。

自由主義的な教育思想を持ち、1919年に後藤新平や沢柳政太郎によって東京府立第五中学校(現・東京都立小石川中等教育学校)の初代校長に抜擢されると、「立志・開拓・創作」の校是や理化学重視の教育を打ち立て、府立五中の創始者として基礎を築いた。

海外渡航経験が非常に豊富であり、アメリカのハーディング大統領との単独面会の実現や、海外からの帰途に「船を間違えた」としてヨーロッパやシベリア方面をまわったことで知られている。島崎藤村の代表小説『破戒』に登場する土屋銀之助という教師は、伊藤長七がモデルである。

作詞

関連項目

後任
落合寅平

外部リンク